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壇之浦漁港

壇之浦漁港

山口県下関市、赤間神宮の関門橋寄りの赤間関に位置するのが壇之浦漁港。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』によれば「壇之浦の海上で三町を隔て船を向かわせて源平が相戦う」とあり、現在の壇之浦漁港眼前の海で源平の海戦が繰り広げられたことがわかります。敗北した平家軍が陸に上がって漁師になったともいわれています。

関門橋を眺める美しい船溜まり

源氏を迎え撃つ平家が最後の砦を構えたのが瀬戸内海の入口に臨む彦島(ひこしま)。
文治元年(1185年)2月、筑前国の葦屋浦の戦い(現在の福岡県芦屋町・西浜町・白浜町・幸町一帯での戦い)で九州の平家軍はすでに滅亡していましたから彦島はまさに背水の陣となっていたのです。

平家軍は松浦党100余艘、山鹿秀遠300余艘、平氏一門100余艘。
源氏(義経軍)は摂津国の渡辺水軍、伊予国の河野水軍、紀伊国の熊野水軍など840艘と、軍船の数でも源氏が圧倒していました。
合戦の前半は潮流が西から東へと流れて源氏は満珠島・干珠島まで押し出されましたが、逆に後半は流れが逆となり、平家軍は赤間関の沖まで押し戻されています。
つまり、最後の決戦の地は壇之浦漁港の眼前。
こうした地形的な要因で、敗れた平家の将兵は、海を泳いで赤間関に流れ着き、土着して漁師になったという伝承も生まれました。
壇之浦漁港の漁師は平家落人の末裔ということになるのですが、今は海峡をまたぐ関門橋の好展望地になっています。

平家最後の砦のあった彦島は、義経軍の執拗な追討を受けていますが、はたして赤間関では平家の残党が隠れ住むことができたのでしょうか。
下関市高畑地区なども落人の里と呼ばれています。

名称 壇之浦漁港/だんのうらぎょこう
所在地 山口県下関市壇之浦町1
ドライブで 中国自動車道下関ICから約2.8km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

関門橋

関門海峡(早鞆ノ瀬戸)をまたぎ、山口県下関市と福岡県北九州市門司区を結ぶ、全長1068m、幅26m・6車線の吊り橋が、関門橋。下関IC〜門司IC間の高速道路・関門自動車道の一部となっています。関門海峡を横断する陸上交通機関では唯一地上にあり

 

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