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乃木神社

乃木神社

山口県下関市長府にある乃木神社は、明治天皇に殉死した乃木希典(のぎまれすけ)を祭神とする神社。社殿は台湾・阿里山のヒノキ材を用いて建立されたもので、境内には、乃木家が16年間過ごした旧宅が復元されています。神社脇の路地は、横枕小路(よこまくらしょうじ)と呼ばれ、樹葉に覆われた土塀(練塀)の続く道。

乃木希典を文武両道の神として祀る神社

多くの犠牲者を出した日露戦争の旅順要塞の攻略で知られる乃木希典は、嘉永2年11月11日(1849年12月25日)、江戸・麻布の長府藩上屋敷(毛利甲斐守邸=現・東京都港区六本木、六本木ヒルズ内の毛利庭園)の侍屋敷で誕生(長府藩=長州藩の支藩)。
父は長府藩の藩士(馬廻、80石)・乃木希次。
安政5年(1858年)に父とともに長府へ転居し、漢籍、詩文、流鏑馬、弓術、西洋流砲術、槍術及び剣術などを学び、元治元年3月(1864年4月)、学者になることを志して萩(はぎ)へ。

萩藩の藩校・明倫館の文学寮に通学し、幕末には藩命により、伏見御親兵兵営に入営してフランス式訓練法を学んでいます。
維新後は、黒田清隆の推挙を受けて大日本帝国陸軍の軍人となり、明治9年には旧秋月藩士の宮崎車之助らによる秋月の乱を鎮圧、西郷隆盛との西南戦争にも従軍しています。

明治20年から1年半ほどドイツに留学し、留学中には森林太郎(森鴎外)とも親交を深めています。
日清戦争への従軍、台湾総督への就任、そして日露戦争では有名な旅順攻囲戦の指揮をとり、多くの反対を受けながら203高地を攻略。
多大な犠牲を出しながらも旅順要塞を陥落させています。

その後は、昭和天皇の養育なども行なっていますが、大正元年9月13日、明治天皇の大喪の礼が行なわれた日に軍刀で自刃(享年62)。
この自刃に対しては、白樺派の志賀直哉や芥川龍之介などは前近代的行為と批判的(武者小路実篤は、乃木の殉死を賛美することは「不健全な理性」のもたらす行為としています)、夏目漱石は小説『こゝろ』、森鴎外は小説『興津弥五右衛門の遺書』を記して擁護の立場をとるなど、文壇でも意見がわかれています。
司馬遼太郎も小説『坂の上の雲』、『殉死』では乃木の采配に対しては否定的に描いています。

いずれにしろ、乃木の殉死を祭神として祀るという主張がなされ、全国に乃木神社が建立されましたが、大正9年1月30日、故郷に建立されたのが下関市長府の乃木神社です。
往時には軍神として祀られていますが、現在では文武両道の神に。
墓所は港区青山霊園。

乃木神社
名称 乃木神社/のぎじんじゃ
所在地 山口県下関市長府宮の内町3-8
関連HP 乃木神社公式ホームページ
電車・バスで JR下関駅からサンデン交通バス新下関駅方面行きで15分、城下町長府下車、徒歩7分
ドライブで 中国自動車道下関ICから約7kmで長府観光会館駐車場。駐車場から徒歩10分
駐車場 長府観光会館駐車場(20台/無料)
問い合わせ 乃木神社 TEL:083-245-0252
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

横枕小路

山口県下関市長府、乃木希典(のぎまれすけ)を祭神とする乃木神社の横を東西に抜ける横枕小路(よこまくらしょうじ)は、土塀(練塀)と石垣に囲まれた歴史ある小路。土塀は樹葉に囲まれ、路面も土のままという往時の姿を残し、風情たっぷりです。乃木家の邸

 

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