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見島北灯台(長尾ノ鼻)

見島北灯台(長尾ノ鼻)

山口県萩市の沖合44.3kmに浮かぶ見島の最北端の岬、長尾ノ鼻に建つ灯台が、見島北灯台。海の難所として知られる見島北側の航海、漁の安全のため、昭和38年1月15日に初点灯した灯台で(光達距離は12.0海里、22.2km)、国境の島・見島らしい山口県の最北端の地にもなっています。

水平線から日が昇り、水平線に日が沈む珍しい場所

地元萩市は「水平線から日が昇り、水平線に日が沈む珍しい場所」とPRしていますが、灯火の照らす範囲も22度〜307度で285度というワイドさ。

日没、日の出を見るためには、萩・菊ヶ浜商港から萩海運の高速船「ゆりや」が接岸する2つめの港、宇津港周辺に宿をとる必要があります(宇津港からでも徒歩で40分ほど必要です)。

宇津港へは本村港から高速船「ゆりや」で15分、は萩・菊ヶ浜商港からだと本村港経由で所要1時間45分。

見島北灯台(長尾ノ鼻)の南にある、標高123.0mの頂には、日露戦争時に舞鶴鎮守府所管の見島海軍望楼(仮設望楼)が明治37年8月1日に築かれ、角島(つのしま/現・下関市豊北町)の望楼と海底通信ケーブルで結ばれバルチック艦隊来航に備えて海上監視の任務についていました。
日露戦争の集結とともに、明治38年10月19日に廃止されています。
日清戦争開戦直後の明治27年8月4日には角島など全国13ヶ所に海軍望楼が設置され、沖合を通過する軍艦や西洋型商船に対し、艦船名を示す符号信号旗の掲揚が義務付けられています。

見島海軍望楼の設置で、連合艦隊の集結地・松真電信取扱所(朝鮮慶尚南道・巨済島/現・大韓民国巨済市)〜鴻島望楼(朝鮮慶尚南道・鴻島/現・大韓民国統営市)〜竹敷要港部(対馬浅茅湾)〜沖ノ島望楼〜角島望〜-見島望楼と島伝いに海底電信線(有線電信電話回線)が完成したのです。

見島北灯台(長尾ノ鼻)
名称 見島北灯台(長尾ノ鼻)/みしまきたとうだい(ながおのはな)
所在地 山口県萩市見島長尾ノ鼻
電車・バスで 宇津港から徒歩40分
問い合わせ 見島観光協会 TEL:0838-23-3311
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

見島ジーコンボ古墳群

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萩海運(見島・相島・大島航路)乗船場

山口県萩市東浜崎町、菊ヶ浜商港にある萩海運の見島行き、相島行き、大島行きの離島航路の乗り場が、萩海運(見島・相島・大島航路)乗船場。見島へは高速船「ゆりや」、相島へ定期船「つばき2」、大島へ定期船「はぎおおしま」が就航し、大島航路のみフェリ

宇津観音堂

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八町八反

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