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江戸・東京で最古の七福神めぐり 谷中七福神

谷中七福神

東京でもっとも歴史がある七福神めぐりが『谷中七福神』(やなかしちふくじん)。JR田端駅から上野駅にかけて、7つの寺を歩いて巡礼する手軽な新春開運の散策ルートになっています。七福神めぐりは、社寺が混ざることも多いのですが、谷中はすべて寺。御朱印がもらえるのは(御開帳)、1月1日〜1月10日のみとなっています。

徒歩で巡ることが可能な『谷中七福神』

江戸時代には、江戸の近郊で、日の暮れるのも忘れるほどの風流な里ということから「日暮の里」(ひぐらしのさと)と呼ばれた日暮里(にっぽり)。
多くの文人墨客が集まる行楽の地だったのです。

ちょうど山手線の西日暮里駅から鶯谷駅にかけて、線路の内側(日暮里・谷中界隈)には、東京随一の寺町が残されています。

なぜ、谷中七福神が誕生したのかといえば、上野の山に寛永寺が創建されたから。
天海大僧正が、3代将軍・徳川家光と相談し、上野に東叡山寛永寺を建立する際に、不忍池を琵琶湖に見立てて、竹生島から辯才天を勧請(当初は舟で参詣していました)。
さらに塔頭(子院)の護国院に徳川家光から鎌倉時代の絵師・藤原信実筆と伝えられる大黒天の画像が奉納され、多くの参詣者を集めたから。

こうして自然発生的に、七福神めぐりが始まったのだと推測できます。
当初は日暮の里の風流な寺と、寛永寺関連の寺を組み合わせて回っていましたが、結果、現在の7ヶ寺に集約されたもの。

日帰り行楽地として、江戸時代に始まったゆえに、今も徒歩で御朱印を集めることができます。

コース的には北の田端側から、南の上野・不忍池を目指すのがおすすめです。
なぜなら、飲食店などがゴールの上野に多いから。

コース途中にある「谷中岡埜栄泉」(やなかおかのえいせん)は、明治33年創業の老舗和菓子店で豆大福が看板商品です。

『江戸名所図会』に見る日暮の里

START JR田端駅

500m・徒歩6分

福禄寿/東覚寺

所在地:東京都北区田端2-7-3
正式名:白龍山寿命院東覚寺
創建:延徳3年(1491年)
宗派:真言宗豊山派

東覚寺

東京都北区田端にある真言宗豊山派の寺、東覚寺(とうがくじ)。延徳3年(1491年)、神田に創建し、その後、根岸を経て江戸時代初めに現在の地に移りました。山門の石造金剛力士立像は、病を患った部分に赤い紙を貼るという赤紙仁王として有名。江戸・東

1km・徒歩12分

恵比寿/青雲寺

所在地:東京都荒川区西日暮里3-6-4
正式名:浄居山青雲寺
創建:宝暦年間(1751年〜1764年)中興
宗派:臨済宗妙心寺派

青雲寺

江戸時代の中頃から「日暮の里」(ひぐらしのさと)といわれ東京都荒川区西日暮里にある臨済宗妙心寺派の寺、青雲寺。江戸時代に花見の場所として賑わったことから、「花見寺」とも呼ばれ、周辺の月見寺(本行寺)、雪見寺(浄光寺)とあわせて、江戸時代の行

200m・徒歩2分

布袋尊/修性院

所在地:東京都荒川区西日暮里3-7-12
正式名:運啓山修性院
創建:天正元年(1573年)
宗派:日蓮宗

修性院

江戸近郊の行楽地として賑わった日暮の里(ひぐらしのさと)。荒川区西日暮里にある日蓮宗の寺、修性院(しゅしょういん)。妙隆寺(修性院に合併)・青雲寺とともに花見寺とも呼ばれ、歌川広重の『名所江戸百景』の「日暮里寺院の林泉」にも描かれています。

700m・徒歩10分(富士見坂経由)

寿老人/長安寺

所在地:東京都台東区谷中5-2-22
正式名:大道山長安寺
創建:正徳2年(1712年)
宗派:臨済宗妙心寺派

長安寺

東京都台東区谷中にある臨済宗妙心寺派の禅寺が長安寺(ちょうあんじ)。江戸で最古の七福神巡りという『谷中七福神』の寿老人を祀っています。長安寺の寿老人像は徳川家康の寄進と伝えられる等身大の寄木彫刻で、左脇に鹿を従えた座像です。墓地には狩野芳崖

400m・徒歩5分(谷中霊園経由)

毘沙門天/天王寺

所在地:東京都台東区谷中7-14-8
正式名:護国山尊重院天王寺
創建:文永11年(1274年)
宗派:天台宗

天王寺

東京都台東区、谷中墓地の一画、JR日暮里駅近くにある天台宗の寺が天王寺。鎌倉時代後期、土豪関長耀が当地に立ち寄った日蓮聖人に帰依して草庵を結んだのが始まりで、江戸時代に輪王寺宮公弁法親王を願主に、5代将軍徳川綱吉を大檀那にして天台宗に改宗。

900m・徒歩12分

大黒天/護国院

所在地:東京都台東区上野公園10-18
正式名:東叡山寛永寺護国院
創建:寛永2年(1625年)
宗派:天台宗

護国院

東京都台東区上野公園にある天台宗の寺、護国院。寛永2年(1625年)、天海僧正が東叡山寛永寺を開山したのと同時に、天海の命により東叡山寛永寺最初の子院として生順が創建。宝永6年(1709年)に現在地に移転しています。谷中七福神の大黒天となっ

1km・徒歩12分

辯才天/寛永寺・不忍池辯天堂

所在地:東京都台東区上野公園2-1
正式名:不忍池辯天堂
創建:寛永年間(1624年〜1645年)
宗派:天台宗

寛永寺・不忍池辯天堂

東京都台東区の上野恩賜公園にある不忍池(しのばずのいけ)の中島にあるのが寛永寺・不忍池辯天堂。寛永寺開山の天海僧正が、江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1645年)に創建したもので、祀られる本尊は、八本の腕があり、煩悩を打ち壊す武器を手に

500m・徒歩8分

GOAL JR・東京メトロ上野駅

全行程5.2km・1時間10分(行程には休憩時間が含まれません)

江戸・東京で最古の七福神めぐり 谷中七福神
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

【知られざるニッポン】vol.51 七福神めぐりのルーツは京都にあり!

七福神めぐりは、寺社に祀られる七福神の神々の力をもって福運を授かろうとする民衆の願い。新春に巡拝すれば「七難即滅(しちなんそくめつ)、 七福即生(しちふくそくしょう)」(難を滅ぼし福を呼ぶ)極まりなしといわれています。そんな七福神めぐりのル

新宿山ノ手七福神

新宿から牛込、神楽坂界隈の7つの社寺を結ぶ、開運の参詣ルートが新宿山ノ手七福神。谷中七福神に比べるとロングコースですが、徒歩で回ることが可能。神楽坂上の善國寺(毘沙門天)をスタートして西に、あるいは新宿御苑に近い太宗寺(布袋和尚)をスタート

谷中霊園

東京都台東区谷中7丁目、JR日暮里駅の西側、約10haという広大な敷地を有する都立霊園が、谷中霊園(やなかれいえん)。かつては天王寺(江戸時代後期までは感応寺)境内の一部で、明治7年に東京都の管理となり、今は約7000基の墓がある一般墓地と

 

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