弥生時代の不思議な楼閣を復元! 「日本最大級の弥生集落」唐古・鍵遺跡

唐古・鍵遺跡

奈良県磯城郡田原本町にある弥生時代の環濠集落の遺構が、国の史跡、唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)。出土品は国の重要文化財に指定されていますが、そのなかで、土器のかけらに不思議な形状の多層式の楼閣が描かれていました。史跡公園として整備された公園内に、その楼閣が復元され、写真撮影にも人気のスポットになっています。

弥生時代中期には、すでに楼閣建築があった!?

唐古・鍵遺
復元された弥生時代中期の楼閣

奈良盆地中央部、標高50mほどの洪積台地に築かれた弥生時代の大規模な集落。
面積は42万ha、甲子園球場10個分という規模で、弥生時代、日本最大級のムラだった場所といえるでしょう。
まさにクニへの過程ともいえる集落です。

しかも、発掘調査から弥生時代前期から後期まで700年間もの長い間、途切れずに集落として存在し続けていたことも判明しています。

また、弥生時代前期の木棺墓から出土した人骨は大陸系の成人男性と判明。
銅戈(どうか)を描いた絵画土器は、天竜川流域で製造されたものなど、出土した遺物は、日本各地から運び込まれているため、近畿地方のリーダー的存在の集落だったことも推測できます。

幾重もの環濠に囲まれているのは、当時、戦乱に明け暮れていたから。

不思議な楼閣は平成3年にムラの南側を囲む環濠4条から出土した絵画土器片(「唐古・鍵考古学ミュージアム」に展示)に描かれていた姿。
弥生時代中期の壺の胴部に「楼閣」と寄棟建物の2棟の建物が描された3つの破片で、この発見で、弥生時代に2階建て(多層建築)が存在したと考えられるようになったのです。

しかもこの絵画土器に描かれた建物は、2層の屋根と大きな蕨手(わらびて)状の棟飾りがあるという特異なもの。
弥生時代の絵画土器としても日本一有名といっても過言ではなく、弥生時代の住居といえば高床式の倉庫、あるいは竪穴式住居と考えられてきた常識を大きく覆した発見だったのです。
弥生時代のイメージは登呂遺跡の発掘調査結果を教科書などで読んだ知識が大きく、それが常識となっていたため、まさに常識を覆す大発見となったのです。

中国では前漢時代(紀元前206年〜紀元前8年)に出現、後漢時代(紀元25年〜220年)に普及した楼閣建築なので、弥生時代に倭人が中国大陸に渡ったのか、あるいは中国大陸からの使者がいたのかとも推測できます。

楼閣建築が描かれた土器は、弥生時代中期(紀元前100年〜紀元後100年)なので、この楼閣建築出現から普及期に一致します。
壺などに描くモチーフは身近なものであることが多いため、大陸との交流のあった先進のムラには、こうした楼閣建築があっただろうことがわかるのです。

唐古・鍵遺跡
楼閣が描かれた土器片
弥生時代の不思議な楼閣を復元! 「日本最大級の弥生集落」唐古・鍵遺跡
名称唐古・鍵遺跡/からこ・かぎいせき
所在地奈良県磯城郡田原本町唐古50-2
関連HP唐古・鍵遺跡史跡公園公式ホームページ
電車・バスで近鉄石見駅から約20分
ドライブで京奈和自動車道三宅ICから約2.5km
駐車場62台/無料
問い合わせ唐古・鍵遺跡史跡公園 TEL:0744-34-5500/FAX:0744-34-5511
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
唐古・鍵遺跡史跡公園

唐古・鍵遺跡史跡公園

奈良県磯城郡田原本町にある弥生時代の環濠集落の跡が、唐古・鍵遺跡(からこ・かぎいせき)。一帯は唐古・鍵遺跡史跡公園として整備され、楼閣を復元するなど弥生時代の「風景」の再現が行なわれています。公園全体のガイダンスの場となる「遺構展示情報館」

唐古・鍵遺跡ミュージアム

唐古・鍵考古学ミュージアム

奈良県磯城郡田原本町にある、弥生時代の巨大な環濠集落の遺跡、唐古・鍵遺跡の出土品を展示するミュージアムが、唐古・鍵考古学ミュージアム。唐古・鍵遺跡史跡公園で復元された「楼閣の描かれた第47次調査で出土した絵画土器のも展示されています。唐古

 

 




よく読まれている記事

こちらもどうぞ