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山刀伐峠

山刀切峠

山形県最上郡最上町と尾花沢市の境に位置する標高470mの峠が山刀伐峠(なたぎりとうげ)。最上地区と尾花沢を結ぶ山越えの古道で、『奥の細道』で松尾芭蕉もこの峠を越えて山寺へと向かっています。かつては難所といわれ、当時は案内人をたてても迷うほどの道だったと伝えられています

山刀伐峠周辺は鬱蒼と茂るブナの森

山刀切峠周辺はブナの森

山形県道28号(尾花沢最上線)が通っていますが、峠下を山刀伐トンネルで抜けるため、旧道が歴史の道として整備され、気軽に散策を楽しむことができます。
山刀伐トンネルの最上町側の入口脇から林道に入れば、峠近くまで車で入ることも可能で、峠には昔ながらの山道が残されています。 

「二十七曲り」と呼ばれる峠道の形状が、山仕事や狩りの際に被った「なたぎり」というイグサで編んだ帽子状の被り物(かぶりもの)に似ているのが峠名の由来。
北の最上町側がとくに急峻で、南の尾花沢側はなだらかな地形です。

戦国時代末の天正9年(1581年)には、山形城主・最上義光の軍勢がこの峠を南側から越えて、小国領主・細川直元に攻め入っています(万騎の原の戦い/最上町富沢)。

雨にたたられ堺田の「封人の家」に2泊した芭蕉は、元禄2年5月17日(1689年7月3日)、雨上がりの快晴のなかを尾花沢へと向かう芭蕉は、山刀伐峠を越えています。
当時は案内人をたてても迷うような道だったらしく、芭蕉も非常に難儀をしています。
『奥の細道』にも「高山森々(しんしん)として一鳥声聞かず木の下闇茂りあひて夜行くがごとし。雲端(うんたん)につちふる心地して、篠(しの)の中の踏分(ふみわけ)踏分(ふみわけ)水をわたり岩に蹶(くじき)て、肌につめたき汗を流して最上(もがみ)の庄に出づ」と、闇夜のように鬱そうと茂る森を歩いたと記されているのです。

周囲はブナ林なので、昼も暗かったのでしょう。
山頂近くには駐車場、トイレ、休憩所が整備され、のんびりと散策することができます。

『奥の細道』途中でも、親不知(おやしらず/新潟県糸魚川市の西端)とともに難所となった場所です。

名称 山刀伐峠/なたぎりとうげ
所在地 山形県最上郡最上町満沢・尾花沢市高橋
関連HP 最上町観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR赤倉温泉駅からタクシーで15分
ドライブで 東北自動車道古川ICから約53km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 最上町観光協会 TEL:0233-43-2233/FAX:0233-43-2319
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

立石寺・芭蕉句碑

松尾芭蕉は『奥の細道』行脚の途中、元禄2年5月27日(1689年7月13日)に尾花沢から立石寺を訪れ、有名な「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んでいます。根本中堂の脇には、幕末の嘉永6年(1853年)、門人により建立された句碑が立ってい

封人の家(旧有路家住宅)

山形県最上郡最上町にある封人の家(ほうじんのいえ)は、江戸時代に役場や国境の警護の役目も果たしていた役人の家。有路家(ありじけ)は、仙台領との境に位置し、代々新庄領堺田村の庄屋を務めていた名家です。築350年ほどの建物(旧有路家住宅)は、国

芭蕉・清風歴史資料館

山形県尾花沢市にある『奥の細道』で10日間滞在した松尾芭蕉の足跡を紹介する資料館が芭蕉・清風歴史資料館。建物は旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋(江戸時代末期の中門造りの酒屋)を、豪商・鈴木清風(島田屋・鈴木八右衛門)の邸宅跡の隣接地に移築し

養泉寺

山形県尾花沢市にある天台宗の寺、養泉寺。本尊の聖観世音菩薩は、最澄に師事した円仁(えんにん=慈覚大師)作と伝えられています。『奥の細道』の途中、尾花沢で紅花取引で財を成した鈴木清風(鈴木八右衛門)を訪ねた芭蕉は、10泊を尾花沢で過ごしていま

 

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