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最上川

最上川

山形県米沢市にそびえる西吾妻山(2035m)北面、火焔滝(ひのほえのだき)を源流に、山形県を北上し、酒田市で日本海に注ぐ長大な河川が最上川(もがみがわ)。幹川流路延長は229kmで、木曽川と並んで日本第7位、流域面積7040平方キロは日本第9位の河川です。富士川、球磨川と並んで、日本三大急流にも数えられています。

「五月雨をあつめて早し最上川」 は舟上のイメージ

最上川舟下り(芭蕉ライン)

松尾芭蕉が『奥の細道』途中で、最上川を舟で下り、「五月雨をあつめて早し最上川」 (発句は「五月雨を集めて涼し最上川」)と詠んだことでも有名。
元禄2年6月3日(1689年7月19日)、松尾芭蕉と同行の河合曾良は、新庄の城下を出立し、本合海から最上川舟運で古口の船番所へと下り、船番所で新庄藩の領内に入るための詮議を受けた後、再び舟で白糸の滝を眺めながら清川へと下っています。
清川から目的地の一つ、出羽三山へと向かっています。

「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし」(『奥の細道』)。
芭蕉が訪れたときの最上川は梅雨の末期。
「五月雨をあつめて早し」は、舟上のイメージだとされています。

最上川の舟運は、源義経が平泉へと落ち延びる時にも利用されたようで、『義経記』にも白糸の滝が記されています(ただし『義経記』は南北朝時代以降の書で、史実とはいえません)。
この芭蕉も使った舟運は、「最上川舟下り(芭蕉ライン)」として営業するので、乗船すれば舟の上から白糸の滝を眺めることができます。

『奥の細道』に「ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有」と記されたのが、「最上川の三難所」の碁点、三ヶ瀬、隼の瀬(現・村山市)の早瀬。
慶長5年(1600年)、関ヶ原合戦で東軍に与して上杉家と対峙した最上義光(もがみよしあき)は、戦後に攻め取った庄内地方などの領有を認められ、57万石の大大名に出世。
最上川の三難所を開削して最上川舟運の安全性を高め、領内の流通を活性化しています。

東廻り航路の起点は最上川!

最上川源流の火焔滝

人口増加による江戸での深刻な米不足を背景に、最上川流域の幕府領で収穫された御城米を江戸へと運ぶために、寛文12年(1672年)、江戸の商人・河村瑞賢の幕命を受けて東廻り航路(東廻り海運)を確立しています。
その前年、寛文11年(1671年)には、阿武隈川と河口の荒浜湊を使った西廻り航路(西廻り海運)で、米沢米などを江戸に運ぶルートが誕生していますが、航海の安全性に問題がありました。
そのため、長期の輸送になっても安全に御城米を江戸に運ぶ方法として、最上川の舟運を起点とした東廻り航路が重視されたのです。
つまり、最上川の舟運を使って御城米だけでなく、特産の紅花が京・上方へ運ばれ、河口の酒田、山形盆地の入口・大石田の繁栄を支えたのです。
慶安年間には上り荷は「酒田船」、下り荷は「大石田船」に限るという「片運送」が始まり、この片運送は幕末まで行なわれています。


大石田町には大石田河岸跡、最上川舟役所跡(大門・塀蔵)が残されています。
河口の酒田のシンボル、山居倉庫(さんきょそうこ/新井田川沿い)は、明治26年に建てられた米保管倉庫で、最上川舟運、米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝えています(NHK朝の連続テレビ小説『おしん』のロケ地としても有名)。

ちなみに、最上川の源流は、大樽川上流の黒滝・赤滝(米沢市)、白川(飯豊町)など諸説ありますが、河川法は、松川上流部・火焔滝(ひのほえのたき)とされています。

山居倉庫(酒田市)

最上川源流・火焔滝|米沢市

白糸の滝|戸沢村

最上川河口・酒田港|酒田市

最上川
名称 最上川/もがみがわ
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大石田舟役所跡(大門・塀蔵)

最上川舟運の河湊が置かれた山形県大石田町。最上川の河岸(かし=川湊)として本格的に機能を果たすようになるのは近世から。幕府の天領米(村上地方は北日本最大の天領でした)、紅花などの輸送拡大に伴って、寛政4年(1792年)、幕府直轄の大石田舟役

大石田河岸跡

山形県北村山郡大石田町にある最上川舟運で栄えた川湊の跡が大石田河岸跡(おおいしだかしあと)。古代水駅が置かれ、戦国時代に最上義光(よしみつ)の最上川三難所の開削によって発展した、大石田の川湊(河岸)。最上氏(もがみし)は船着き場を整備するだ

白糸の滝(最上川)

最上川の本流に落ちる白糸の滝は、『奥の細道』途中の芭蕉も舟下りの舟の中から眺めた景勝地。「五月雨を集めて早し最上川」は、芭蕉が舟下りで詠んだ名句で、『奥の細道』には、「白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水みな

最上川舟下り(最上峡芭蕉ライン)

日本三大急流に数えられる最上川は、舟運に利用され、江戸時代には、紅花など、流域の特産品を運び出していました。芭蕉が『奥の細道』で川下りをしたことでも知られ、「五月雨を集めて早し最上川」の名句を詠んでいます。最上川芭蕉ラインは船頭さんが歌う『

最上川源流・火焔滝

山形県米沢市、吾妻連峰の西吾妻山北面、松川上流の間々川に懸かる滝が火焔滝(ひのほえのたき)。河川法による最上川源流になっているのが火焔滝ですが、さらに上流部にも水が流れているため、実際の源流はさらに上部ということに。近くに秘湯として知られる

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