山梨県大月市街の北側にそびえる標高634mの岩峰が岩殿山。武田二十四将のひとり、小山田信茂(おやまだのぶしげ)が、天然の要害を利用して山上に岩殿城(いわどのじょう)を築いた地。JR・富士急行線大月駅から山頂までは、大岩壁・鏡岩の横を登る遊歩道も整備されており、大岩壁・鏡岩上の山頂に到達できます。
山頂一帯には中世の山城跡が
山頂周辺には揚木戸跡、本丸跡、狼煙(のろし)台などが残され、南物見台からは、大月市街を眼下に富士山を眺望します。
巨大な岩山を居城としたのは武田二十四将のひとりで、川中島の合戦で、上杉謙信軍に追い詰められた武田信玄を救うという功績を挙げた武将です。
天正9年(1581年)、徳川家康の攻撃で遠州・高天神城(たかてんじんじょう/現・静岡県掛川市)が落城すると、武田勝頼(たけだかつより)は急速に勢いを失います。
韮崎の地に新府城を築き、反抗を図ろうと試みますが、配下の離反を招き、建築途中の城に火をかけ、最後の砦として難攻不落の岩殿城を目指しました。
ところが小山田信茂は織田信長軍に投降を決意し、主君に反逆。
これにより武田勝頼は天目山(現在の景徳院)での自害を余儀なくされるのです。
しかし、小山田信茂は主君を裏切った不忠のものとして、織田信長により甲斐善光寺で処刑となっています。
乃木希典(のぎまれすけ)が明治12年に登山していますが、当然これは天然の要害として知られる山城の視察。
正面の巨岩・鏡岩を見て「兎も登れない」と感嘆したと伝えられています。
この経験がその後の二百三高地攻略にどう生かされたかは知る術もありませんが、山頂までの登山道を上れば、巨大な自然石が道を塞ぐ揚城戸跡、山頂の平坦地を利用した馬場跡、2つの井戸が掘られた用水池などが残り、中世の山城がどんなものであったかよくわかります。
登山に関しては、鏡岩の一部が崩落したため、畑倉ルートを選ぶなど最新の情報を入手してからお出かけを(落石の危険などで通行禁止のルートもあるので入山前に確認を)。
また、稚児落としなどへの縦走路はかなり危険の場所もあるので、経験者向けのコースです。
大陸移動で誕生した「ミニヒマラヤ」岩殿山
岩殿山の岩壁は、プレートの境界部で形成された礫岩。
岩殿山の南側に連なる丹沢山塊は、日本列島の南方にあった火山島が600万~400万年前にフィリピン海プレートに乗って移動し、日本列島(関東山地)に衝突。
さらに200万~100万年前に、やはり南海の火山島だった伊豆半島が丹沢に衝突し、関東山地や丹沢山地が隆起しました。
火山島(丹沢山塊)と日本列島(関東山地)の間にあった細長い浅海(トラフ)に堆積した砂礫層がこの衝突で隆起したのが岩殿山というわけなのです。
丹沢が日本列島に衝突した当時のプレート境界にあたります(三つ峠山、石老山も同様)。
岩殿山は、成因的にはまさにヒマラヤと同じで(丹沢はインド大陸にあたります)、「ミニヒマラヤ」のような険しさは、まさに大陸移動(プレート移動)が原因だったのです。
岩殿山 | |
名称 | 岩殿山/いわどのさん |
所在地 | 山梨県大月市賑岡町強瀬・畑倉 |
関連HP | 大月市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR大月駅から徒歩20分で登山口、さらに徒歩40分で山頂 |
ドライブで | 中央自動車道大月ICから約4.6kmで駐車場 |
駐車場 | 岩殿山公園市営駐車場(10台/無料) |
問い合わせ | 大月市観光協会 TEL:0554-22-2942 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag