山梨県山梨市牧丘町室伏、山梨県令・藤村紫朗の命で建築され、明治8年10月15日に室伏学校として開校した明治初頭の擬洋風建築(藤村式建築)の旧室伏学校校舎をミュージアムとして再生したのが牧丘郷土文化館。本来は700mほど南西に建っていたが、平成15年に「道の駅花かげの郷まきおか」に移築されています。
明治8年、諏訪村に誕生した藤村式建築の学校
藤村式建築(ふじむらしきけんちく)とは、山梨県令として明治6年に着任した(1月の着任当初は山梨権令、10月から県令)藤村紫朗(ふじむらしろう)の指導の下で建てられた擬洋風の学校建築のこと。
ただし、擬洋風建築の学校建設は、山梨県や県令・藤村紫朗が指示したわけでなく、地元の棟梁が当時の流行を取り入れ、見様見真似でそれぞれの形を生み出したと推測されています。
それでも当時、山梨県内では住民の私財が投入され、労力奉仕などにより36校の藤村式建築が建設されているのです。
現在の室伏公民館の建つ場所に、明治8年10月15日開校の室伏学校(明治8年1月、山梨郡室伏村・隼村・窪平村・城古寺村・千野々宮村・杣口村・成沢村が合併して諏訪村誕生、昭和17年諏訪町に、昭和29年合併で牧丘町、平成17年から山梨市に)。
室伏学校の用材は恵林寺山より伐り出したもので、日本の伝統的な寺院建築に、建物の正面はルネッサンス風でバルコニーを設けるなどのイタリアの建築手法が取り入れられています。
明治20年、室伏学校、杣口学校、窪平学校の3校が統合し諏訪村立諏訪尋常小学校となり、明治26年、室伏尋常高等小学校、明治43年から諏訪高等小学校が併置され、その後、日川高等学校諏訪分校、山梨高等学校諏訪分校、牧丘第一保育所、牧丘公民館として利用され、中山間地域総合整備事業の一環で移築復元され平成15年に牧丘郷土文化館として再生されています。
昭和34年頃には東山梨郡役所とともに明治村に移築という話もありましたが、その話は立ち消えに。
地元では建物の形状から「インキ壺」とも呼ばれているのだとか。
1階には教室が復元され、教育資料が展示され、2階に17世紀に制作されたルーベンス(1577年~1640年)の複製版画などが展示されています。
そのなかの1点は1633年~1635年に制作された貴重な木版画です。
山梨県内に現存する藤村式建築は、室伏学校(山梨市、現・牧丘郷土文化館)のはか、睦沢学校(甲府市、現・藤村記念館)、舂米学校(富士川町、現・富士川町民俗資料館) 、津金学校(北杜市、現・津金学校)、尾県学校(都留市、 現・尾県郷土資料館)の5ヶ所で、官公庁としては、東山梨郡役所庁舎が博物館明治村(愛知県犬山市)に昭和39年に移築され、現存しています。
牧丘郷土文化館(旧室伏学校校舎) | |
名称 | 牧丘郷土文化館(旧室伏学校校舎)/まきおかきょうどぶんかかん(きゅうむろぶしがっこう) |
所在地 | 山梨県山梨市牧丘町室伏2120 |
関連HP | 山梨市公式ホームページ |
ドライブで | 中央自動車道勝沼ICから約14km |
駐車場 | 道の駅花かげの郷まきおか(56台/無料)を利用 |
問い合わせ | 牧丘郷土文化館 TEL:0553-35-2331 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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