【昭和レトロの旅】 「私鉄キラー」の117系「新快速」が一世風靡

国鉄117系電車が関西を走る「新快速」に誕生したのは、昭和54年のこと。昭和57年には名鉄と熾烈なライバル競争を繰り広げる東海地区にも投入されています。急行形を上回る設備、そして速達性能を有し、転換クロスシートという豪華な車内、それでいて乗車券のみで利用ができることで、「私鉄キラー」となったのです。

「私鉄特急対抗電車」として国鉄が開発、一世風靡の車両

「新快速」は、もともと高度成長期の昭和45年10月1日のダイヤ改正で誕生した、関西圏の都市間輸送の切り札。
当時「私鉄王国」と称された関西で、阪神、阪急、京阪などの特急(乗車券のみで利用可能)に対抗するため、新たにつくられた最速達列車です。


当時、関西の「新快速」には関東では湘南電車と称される113系、そして山陽新幹線の岡山延伸時(昭和47年)に余った急行形車両153系が使用されていましたが、並走する私鉄は鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞の「阪急6300系」、冷房装置やカラーテレビ搭載の「テレビカー」が話題となった「京阪3000系電車」 (初代)など、転換クロスシートで快適な通勤通学、旅が約束されていました。

対する国鉄は、急行のお下がりとはいえ、昔ながらのボックスシート(固定クロスシート)と大いに見劣りしました。
そこで開発投入されたのが、転換クロスシートを備えた117系です。

塗装もクリーム1号をベースに、ぶどう色2号の細帯を窓下に引くというオシャレな雰囲気で(戦前の急行電車モハ52形を受け継いでいます)、通勤列車ながらつり革はなく、車内妻面の化粧板を木目調仕上げとするなど、かなり豪華な雰囲気を醸し出していました(トイレはまだ和式トイレでしたが1ヶ所設置)。

こうして「私鉄特急対抗電車」として開発された117系は、関西の通勤通学事情を刷新する「私鉄キラー」となり、「シティライナー」という愛称通りの速達性から、通勤通学のエリアも大きく広がりました。

こうした関西での成功と評価を引っ提げて、昭和57年には輸送人員で名鉄特急に大きく遅れをとっていた東海道本線の豊橋~名古屋〜岐阜にも117系を投入。
JR東海発足後の平成元年には「新快速」も誕生し、徐々に名鉄の牙城を切り崩していったのです。

そんな117系ですが、昭和の終わりとともに、現役を引退。
関西や中京圏では運用を終えて廃車となり、京都鉄道博物館、リニア・鉄道館で保存されるのを見学するのみとなりました。
「WEST EXPRESS 銀河」は、実は117系を大改造したもので、今も現役で活躍しています。

ちなみに、新快速の英語表記は、JR西日本は「Special Rapid Service」、JR東海は「New Rapid」と会社によって異なっています。

【昭和レトロの旅】 「私鉄キラー」の117系「新快速」が一世風靡
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