毎日新聞の前身となる大阪毎日新聞社・東京日日新聞社が、昭和2年、鉄道省(後の国鉄、現・JRグループ)の後援で一般からの投票をベースに、田山花袋、北原白秋、泉鏡花、幸田露伴などの審査推薦を受けて選定された8ヶ所の観光地が日本新八景です。
「昭和の新時代」を代表する風景を、読者投票で選定

よく知られる「日本三景」は、儒学者・林鵞峰(はやしがほう/林羅山の三男、号は春斎など)が寛永20年(1643年)に著した『日本国事跡考』のなかで、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記したのが始まり。
つまりは個人の選考です。
近江八景など日本国内にも中世、近世に誕生した八景はありますが、すべて、そのルーツは、中国・北宋の瀟湘八景(しょうしょうはっけい=水墨画に描かれる景勝地)がルーツです。
関東大震災、大正天皇の崩御、世界恐慌と暗い世相を少しでも明るくしようと、昭和2年、新聞社が投票で新たに日本を代表する八景選定するというイベント的な試みが、日本新八景ということに。
国民の広範囲に意見を募り、対象も日本全土を網羅することで、当時の風景観を表す貴重な資料にもなっています。
昭和2年4月9日に新聞紙上で告知され、読者からのハガキの投票(推薦投票)を5月20日まで受付。
ハガキの集計データをもとに、7月3日、文士・画家、本多静六などの学者、小島烏水(日本山岳会)、鉄道省などの官僚による選考委員会が行なわれて、最終的な八景が決定、7月6日に発表されています。
選考委員会では議論が白熱し、延々13時間も討論が続いたと伝えられています。
全国各地で集団投票が行なわれる!

ジャンルは、エリアではなく、地形的な山岳、渓谷、瀑布、温泉、湖沼、河川、海岸、平原の8部門に分けられているのも大きな特色。
志賀重昂『日本風景論』(明治27年刊行のベストセラー)や国粋主義化する世相を反映していたのかもしれません(志賀重昂は、自然科学的な知識を用いて日本の風景に新しい美を見出し、さらにその景観が、アジアや欧米に勝るものであると説きました)。
投票にあたっては、日本三景、そして富士山は除外するということがあらかじめ発表されていました。
団体投票は許可されていたので、郷土愛をくすぐり、国立公園制定への機運とともに多くの場所で、集団投票が行なわれています。
鉄道省運輸局長は、選定された地への周遊券を発売する、外国へも宣伝する(当時のインバウンドです)と公表され、さらに投票熱をあおりました。
投票総数はなんと9348万1773票。
当時の人口は6166万人程度なので、国民一人当たり1.5票投票したということに。
渓谷の1位は上高地ですが、熱心な地元や山岳関係者の推薦、投票活動が行なわれ、国立公園制定への機運が高まる結果にもなっています(昭和9年、中部山岳国立公園誕生)。
実は、渓谷の1位は、熱心な投票活動が行なわれた天竜峡(長野県)で、上高地はなんと11位。
実は、選者のひとりである小島烏水(日本山岳会)が強硬に上高地だと主張した結果で、選ばれたのです。
投票数全体の1位(381万8721票)でもある長崎県の温泉岳(雲仙)で、山岳の1位を獲得しています。
もちろん、温泉岳(雲仙)も熱心な郷土愛と、雲仙国立公園の機の産物。
天竜峡(長野県)、蒲郡(がまごおり/愛知県)、熊野・鬼ヶ城(三重県)など、全国至るところで熱心な投票活動が行なわれ、結果として選に漏れた観光地では、新聞の不買運動すら起こりました。
日本新八景
| 部門 | 景勝地 | 選定紀行文の作者 |
| 山岳 | 温泉岳/雲仙岳(長崎県) | 菊池幽芳 |
| 渓谷 | 上高地(長野県) | 吉田絃二郎 |
| 瀑布 | 華厳滝(栃木県) | 幸田露伴 |
| 温泉 | 別府温泉(大分県) | 高浜虚子 |
| 湖沼 | 十和田湖(青森県・秋田県) | 泉鏡花 |
| 河川 | 木曽川(愛知県) | 北原白秋 |
| 海岸 | 室戸岬(高知県) | 田山花袋 |
| 平原 | 狩勝峠(北海道) | 河東碧梧桐 |
| 日本新八景とは!? | |
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