愛媛県喜多郡内子町、 昭和57年に全国で18番目、四国初の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されたのが、内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区。一帯は江戸時代後期から明治にかけて、木蠟(もくろう)生産で繁栄。製蠟業者の屋敷、レトロな町家が現存しています。
木蝋生産で栄えた商家の家並みが現存
指定されるのは木蠟生産で栄えた3.5haの街並み(重伝建選定の種別は、製蠟町)には、電線も地中埋設され、江戸時代後期から明治にかけて、製蠟業の繁栄を背景に建てられた商家、民家がずらりと軒を並べています(重伝建選定時の伝統的建造物は93棟)。
八日市護国地区の商家は、浅黄色の漆喰(しっくい)で塗り込められた重厚な大壁や平入り造りが特徴 。
漆喰やなまこ壁の土蔵風の建物が並び、まるで明治時代にタイムスリップしたかのような雰囲気が漂っています。
隣家との間に残る小道や水路は、「せだわ」と呼ばれる独特の路地空間を生んでいます(とくに往時の雰囲気が残されるのがこの「せだわ」です)。
数多くの商家のうち、本芳我邸、上芳我邸、木村家、内子座の建物が国の重要文化財に指定。
本芳我家は、江戸後期から木蝋生産を始めたとされ明治22年に建てられた豪商・本芳我家の屋敷は、国の重要文化財に指定。
本芳我邸の主屋は、明治17年築の2階建て大壁造りで、見学できるのは外観のみですが、高価な漆喰を贅沢に使った懸魚(げぎょ)、2階の随所に施された波頭文様の鏝絵(こてえ=左官が鏝で描いた漆喰芸術)など、贅を尽くした意匠は必見の価値があります。
国内最大規模の製蠟業者だった上芳我家(本芳我家の筆頭分家)の主屋は、製蠟業の最盛期、明治27年に上棟された建物で、現在は「木蠟資料館上芳我邸」(重要文化財上芳我家住宅)として活用されています。
大村家住宅は、江戸時代から「大和屋」の屋号で、明治時代には藍作り、染物商を営んだ商家。
現存する建物は寛政年間(1789年〜1801年)築という歴史あるもの。
1階正面には蔀戸(しとみど)も復元されています。
内子座は、大正5年、大正天皇の即位を記念して建てられた木造2階建ての芝居小屋。
回り舞台や花道を備えています。
内子町ビジターセンターで、ガイドによる町並み散策「内子ねき歩き」を申し込むことも可能。
町並みコース、せだわコース、内子びとコース、石畳むら並みコースなどが用意されています。
愛媛県内にある重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)は、内子町八日市護国(製蠟町)と西予市宇和町卯之町(在郷町=商工業集落)の2ヶ所です。
美しい街並みを生み出した木蝋生産とは!?
ハゼノキの実から作られる緑がかった木蠟が生蠟(きろう)で、生蠟を天日に晒してできるのが白蠟(はくろう)。
本芳我家初代・弥三右衛門(やざえもん)は、生蝋を効率的に晒す技術「伊予式蠟花箱晒法」(いよしきろうばなはこさらしほう)を考案し、発展の基礎を築きます。
本芳我家、上芳我家を中心に、二十数軒の晒し蠟業者が生産する白蠟で、内子は全国でも有数の木蠟生産地へと発展。
内子で生産された木蝋は、肱川の支流小田川の水運で肱川河口に運ばれ、さらに瀬戸内海を大型帆船で神戸へと運ばれて海外にも輸出されたのです。
国内や海外に出荷された白蠟は、鬢付けや蠟燭(ろうそう)などに加工され、煤(すす)の出ない蝋燭は、重宝されたのです。
内子の木蝋生産は、明治時代半ばに最盛期を迎え、その時代の贅を尽くした家並みが現存。
内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区 | |
名称 | 内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区/うちこちょうようかいちごごくでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
所在地 | 愛媛県喜多郡内子町内子 |
関連HP | 内子町公式ホームページ |
電車・バスで | JR内子駅から徒歩20分で八日市・護国町並保存センター |
ドライブで | 松山自動車道内子五十崎ICから約2km |
駐車場 | 町並駐車場(80台/有料) |
問い合わせ | 八日市・護国町並保存センター TEL:0893-44-5212/FAX:0893-44-6289 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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