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石崎汽船旧本社

石崎汽船旧本社

愛媛県松山市に本社を置く石崎汽船は、文久2年(1862年)、新浜村(現・松山市高浜)の庄兵衛が廻船業を興したのが始まりという歴史ある海運会社。三津浜港(みつはまこう)に面した海岸通りに建つ石崎汽船旧本社は大正13年築で国の登録有形文化財。石崎汽船本社としての登録名ですが、現在の本社は、松山観光港ターミナル内です。

旧本社ビルは三津浜港の歴史を伝える文化遺産

江戸時代には庄兵衛を名乗って松山藩の御用廻船問屋を務め、明治6年には石﨑庄兵衛として、外輪船で旅客輸送を開始。
明治23年に、三津浜〜広島間の定期航路を開設、明治36年に三津浜〜 尾道航路開設と発展。
大正7年に石崎汽船株式会社を設立し、大正13年12月に落成したのが、石崎汽船旧本社屋(国の登録有形文化財「石崎汽船本社」)。
現在は伊予鉄グループの関連会社として、松山観光港~呉港~広島港の高速船「スーパージェット」、フェリーを運航しています。

石崎汽船旧本社屋の設計は、松山で旧久松伯爵本邸(現・萬翠荘/国の重要文化財、大正11年)、愛媛県庁舎(昭和4年)、鍵谷カナ頌功堂(登録有形文化財、昭和4年)を手掛けた木子七郎(きごしちろう)。
建築当時は三津浜入港の目印にもなったほど目立った建物でした。

松山観光港の誕生まで、松山の玄関口は三津浜港でした。
夏目漱石が松山に赴任する際に降り立ったのも三津浜で(当時は大型船が接岸できずに艀で上陸)、小説『坊つちやん』の舞台にもなっています。
現在も三津浜港フェリーターミナルから防予フェリー(防予フェリーグループの周防大島松山フェリーと共同運航)が柳井港(山口県柳井市)へのフェリーを就航。
また中島汽船が忽那諸島(くつなしょとう)を結ぶフェリーを運航。

石崎汽船旧本社
名称 石崎汽船旧本社/いしざききせんきゅうほんしゃ
所在地 愛媛県松山市三津1-4-9
関連HP 松山市公式ホームページ
電車・バスで 伊予鉄三津駅から徒歩16分
ドライブで 松山自動車道松山ICから約13km
駐車場 三津港ファリーターミナル駐車場(有料)を利用
問い合わせ 松山市文化財課 TEL:089-948-6603
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

三津の渡し

愛媛県松山市、三津浜(みつはま)港内の市営渡船が三津の渡しで、松山市道高浜2号線の扱い。三津と港山の80mを結び、三津側では「洲崎の渡し」、港山側では「古深里(こぶかり)の渡し」と呼ばれています。15世紀に港山城の物資輸送に渡船が使われ始め

松山観光港ターミナル

愛媛県松山市にある、松山の玄関港のターミナルが松山観光港ターミナル。呉・広島へのスーパージェットとフェリー(石崎汽船、瀬戸内海汽船の共同運航、フェリーは自由席)、小倉への夜行便の松山・小倉フェリー(特等船室も完備/石崎グループ)、中島方面へ

萬翠荘

愛媛県松山市にある松山城(城山)の南麓に建つ洋館が萬翠荘(ばんすいそう)。大正11年、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと/伯爵)が別邸として建てたフランス・ルネッサンス風の建物。設計は、愛媛県庁舎などをも手掛けた建築家・木子

愛媛県庁舎本館

愛媛県松山市にある重厚でレトロな建物が愛媛県庁舎本館。昭和4年完成の本館の設計は旧久松伯爵本邸(現・萬翠荘)と同じ、建築家・木子七郎(きご しちろう)。正面玄関の車寄せと1階部分は御影石(みかげいし)張りで、その他の外壁はすべて人造石洗い出

鍵谷カナ頌功堂

愛媛県松山市西垣生町にある伊予絣創始者の鍵谷カナの功績を讃え伊予織物同業組合が建設した建物が鍵谷カナ頌功堂(かぎやかなしょうこうどう)。愛媛県庁舎本館、旧久松伯爵本邸(現・萬翠荘)と同じ、建築家・木子七郎(きご しちろう)の設計で、愛媛県庁

 

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