萬翠荘

愛媛県松山市にある松山城(城山)の南麓に建つ洋館が萬翠荘(ばんすいそう)。大正11年、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと/伯爵)が別邸として建てたフランス・ルネッサンス風の建物。設計は、愛媛県庁舎などをも手掛けた建築家・木子七郎(きごしちろう)です。国の重要文化財に指定。

フランス通の久松定謨が建てた豪華な別邸

久松定謨は、陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、陸軍きってのフランス通。
その久松公の趣味を随所に取り入れた建物は、彫刻を施したチークの階段、木内真太郎の制作のステンドグラス、華麗な意匠を凝らしたシャンデリアや大理石で造られたマントルピース(暖炉)など、各界の名士が集まる社交場だった往時の姿を偲ばせています。
玄関の床は大理石、玄関ホールの柱は岡山産の万成石という豪華さで、松山で最も古い鉄筋コンクリート造り。

萬翠荘と命名したのは、久松定謨の子・久松定武(ひさまつさだたけ=愛媛県知事時代、ポンジュースの名付け親となりました)。

完成直後の大正11年11月22日〜24日には、皇太子(後の昭和天皇)が滞在しているほか、皇室の滞在にも使われています。

戦後は、松山商工会議所、松山家庭裁判所、愛媛県立郷土芸術館、愛媛県立美術館分館などとして使われてきましたが、現在は往時の姿に再生され、一般公開されています。

建築家・木子七郎設計の建物は、松山市に数多く現存し、旧久松伯爵本邸(現・萬翠荘)のほかに、石崎汽船旧本社屋(大正13年)、愛媛県庁舎(昭和4年)、鍵谷カナ頌功堂(かぎやかなしょうこうどう/鍵谷カナは伊予絣の創設者、登録有形文化財、昭和4年)があります。

萬翠荘
名称 萬翠荘/ばんすいろう
所在地 愛媛県松山市一番町3-3-7
関連HP 萬翠荘公式ホームページ
電車・バスで 伊予鉄道大街道駅から徒歩3分
ドライブで 松山自動車道松山ICから約6km
駐車場 20台/無料(土・日曜、祝日は車輌通行制限を行なう場合あり)
問い合わせ 萬翠荘 TEL:089-921-3711
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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