愛媛県新居浜市、別子銅山の鉱石輸送や、昭和に入ってからは旅客輸送を担った鉄道で、明治26年2月に下部鉄道が、8月に上部鉄道が開通。日本初の山岳鉱山鉄道ですが、とくに上部鉄道は、等高線に沿って最小半径15.24mの急カーブが133ヶ所も連続し、22もの谷を超えていました。
日本初の山岳鉱山鉄道で、明治26年に開通
別子銅山は、他の鉱山と同様に、掘りやすい上層から鉱脈の掘削が開始されたため、初期の抗口は、標高1000m以上の山頂付近に築かれ(明治19年、総延長1021mの第一通洞が貫通)、鉱脈が枯れてくると、その下に新たな坑口を設けて掘り進むという仕組みになっていました(それ以前は明治13年に開通した総延長39kmの牛車道を使っていました)。
日本初という本格的な山岳鉱山鉄道は、下部鉄道(惣開駅~端出場駅間/5.5km)、上部鉄道(角石原駅~ 石ケ山丈駅/10.3km)に分かれ、明治26年に開通。
下部鉄道の終点と、上部鉄道の連絡は、標高差があるため、鉱山索道(ロープウェイ)が担っていました。
当初、銅山で採石された石は角石原駅(かどいしはらえき/標高1100m)で積み込まれ、石ケ山丈駅(いしがさんじょうえき/標高850m)で貨車から降ろされ、高架索道(ロープウェイ)で下部鉄道の起点となる端出場駅(はでばえき/標高164m)へと運び、再び貨車に積み込んで積出港の新居浜港へ搬出されていました。
当初の鉱山町は目出度町(めったまち)でしたが、明治20年代、小足谷地区へと移っています。
近代化によって、高所(標高1100mを越える東延での採掘)から、標高の低い場所へと掘削地点が移され、東洋のマチュピチュと称される東平(標高750mの山腹)の第三通洞(東平から東延斜坑の底を目指して、1795m掘削したトンネル)が明治35年に貫通。
前後して、別子鉱山は近代化を加速させ、第三通洞に坑内電車が開通したことなどもあって、第一通洞はその役割を終え、明治44年10月7日、上部鉄道も廃止となっています。
第一通洞に近い銅山峰ヒュッテ周辺などに上部鉄道の廃線跡が踏み跡的に残されています。
別子銅山(住友別子鉱山鉄道)・上部鉄道跡 | |
名称 | 別子銅山(住友別子鉱山鉄道)・上部鉄道跡/べっしどうざん(すみともべっしこうざんてつどう)・じょうぶてつどうあと |
所在地 | 愛媛県新居浜市立川町 |
関連HP | 新居浜市公式ホームページ |
ドライブで | 松山自動車道新居浜ICから約25kmで銅山跡入口 |
駐車場 | 銅山跡入口駐車場(10台/無料) |
問い合わせ | 新居浜市観光案内所 TEL:080-8105-3641 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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