愛知県名古屋市緑区鳴海町にある有松宿の氏神が有松天満社。鳴海宿と池鯉鮒(ちりふ)宿との間に位置し、茶屋集落(間の宿)として発展した宿場が有松宿。もともとは祇園寺の境内にありましたが、寛政3年(1791年)、現在地に遷座し、文化7年(1810年)、現存する八棟造りの荘厳な神殿が建立されています。
有松宿の氏神で、『有松山車まつり』が有名
有松宿内の「有松山車会館」には見事な山車(だし)が展示されていますが、天満社の『秋季大祭』(10月第1日曜『有松山車まつり』)に曳き出される山車で、屋台にからくり人形を載せた見事なもの。
布袋車(ほていしゃ)、唐子車(からこしゃ)、神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)の3台があり、名古屋市の文化財に指定されています。
旧東海道の間の宿(あいのしゅく)を練り歩く山車のすれ違いや方向転換の際の迫力、からくり人形の演技は『秋季大祭』(『有松山車まつり』)のみどころ。
神功皇后車(西町10:00出発)、唐子車(中町10:15出発)、布袋車(東町10:30出発)。
もともと有松には集落はなく、慶長13年(1608年)に、尾張藩が近在の住民に呼びかけて村人を集め、寛永2年(1625年)に桶狭間村(おけはざまむら)から分立して有松村が誕生したもの。
有松絞りの開祖・竹田庄九郎は、最初の移住者8名のひとりで、寛永15年(1638年)の伊勢参宮ブーム(お蔭参り)の土産として旅人が反物や手拭いを買い求め、尾張藩の保護もあり隆盛したのです。
天満社自体は元々同じ有松にある祇園寺(創建当初は鳴海宿にあった)境内の神祠でしたが、寛政10年(1798年)この地に奉遷。
特産の有松絞りのに最盛期を迎えて文化7年(1810年)、八棟造り(やつむねづくり)の荘麗な社殿が建立されています。
つまり、現在の社殿は、有松絞りの繁栄を今に伝える文化財ということに。
有松天満社での神前結婚式は、ここでしか着ることのできない有松総絞りで作られた白無垢を着ての挙式も可能とのこと。
有松天満社が創建されるまで有松の氏神は、桶狭間神明社(おけはざましんめいしゃ/名古屋市緑区桶狭間神明)でした。
有松天満社、有松祭りの山車行事、有松天満社切通しと常夜燈(有松天満社の参道)は、日本遺産「有松」(「江戸時代の情緒に触れる絞りの産地-藍染が風にゆれる町 有松-」)の構成資産になっています。
有松天満社 | |
名称 | 有松天満社/ありまつてんまんしゃ |
所在地 | 愛知県名古屋市緑区鳴海町米塚10 |
関連HP | 有松天満社公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄有松駅から徒歩8分 |
駐車場 | なし |
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