有松山車まつり|名古屋市|2019

有松山車まつり

2019年10月6日(日)9:00~21:00、愛知県名古屋市の有松天満社(ありまつてんまんしゃ)で『有松山車まつり』が行なわれます。天満社秋季大祭で、唐子車(中町)、布袋車(東町)、神功皇后車(西町)の3台の山車(市指定文化財)が旧東海道有松宿を練り歩きます。

布袋車の「文字書き人形」は必見!

布袋車の「文字書き人形」は2代目・玉屋庄兵衛が明和5年(1768年)に制作した精密ロボット。
見どころは、豪華絢爛の山車や迫力ある山車の方向転換、山車の上でくりひろげられるからくり人形の演技です。
夜になると山車に250個の提灯が灯され、幻想的に。
土曜は前夜祭で、夕方から献灯祭、御神幸(ごしんこう)、囃子込み(はやしこみ)。
日曜が本祭で、昼の部(9:30~13:30)が出立ちの儀(9:30)に始まり、山車曳き、車切り(しゃぎり)、角付け(かどづけ)、山車勢揃い(12:10)、すれ違い(先行車と後続車とのすれ違い)、からくり奉納、総参り(14:15=天満社に参集)。
提灯が点灯しての夜の部(18:30~20:30)は囃子込み、夜の山車曳き、からくり披露、夜の車切り、二車分かれの儀、総納めと続きます。
雨天の場合は昼夜ともに中止となります。

有松山車まつり

享保の改革に反した徳川宗春の経済政策

8代将軍・徳川吉宗は、享保の改革(きょうほうのかいかく)と通称される幕政改革で倹約令を出し、享保6年(1721年)の「享保6年7月5日の触」で機械製造の禁止、発明・創作活動の禁止が徹底されましたが、享保15年(1730年)11月に尾張藩主となった徳川宗春(とくがわむねはる/尾張徳川家第7代当主)は華麗な衣装を纏って名古屋城に入城、倹約令を無視して『東照宮祭』(若宮祭)、『尾張祇園祭』(三之丸天王祭)など城下の祭りを奨励しています。

享保17年(1732年)、徳川宗春は著書『温知政要』、『條々二十一箇條』を藩士に配布し、行き過ぎた倹約を戒めています。
そんな自由経済的な徳川宗春の治世で、享保19年(1734年)、京の人形師・初代玉屋庄兵衛は東照宮祭「林和靖車」の鶴からくりの修理と操作指導のため名古屋城下に招聘されます。
玉屋町(現在の中区錦3丁目)に住まいを構えたのが玉屋という名の始まりです。

2代目の玉屋庄兵衛は、『有松祭』の布袋車「文字書き人形」を遺していますが、絢爛たる山車からくり人形が今も尾張(愛知県)に数多く伝承されるのは享保の改革に反して推進した徳川宗春の開放的な経済政策の反映で、自動車産業に代表される「愛知のものづくり」(昭和52年から連続日本一の出荷額を誇る)のルーツのひとつともいえるのです。

有松山車まつり|名古屋市|2019
開催日時 2019年10月6日(日)/毎年10月第1日曜
所在地 愛知県名古屋市緑区鳴海町米塚10
場所 有松天満社
関連HP 有松天満社公式ホームページ
電車・バスで 名鉄名古屋本線有松駅から徒歩10分
駐車場 なし
問い合わせ 有松山車会館 TEL:052-621-3000
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

旧東海道有松の家並み/名古屋市有松重要伝統的建造物群保存地区

地鯉鮒宿(ちりふしゅく/現・知立市)と鳴海宿(なるみしゅく/現・名古屋市緑区鳴海町)の間にある東海道の宿場(間の宿)が有松宿で、間の宿ながら愛知県内の宿場では往時の様子をもっとも色濃く残している宿場です。1608(慶長13)年に尾張藩の奨励

 

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