亀城公園(刈谷城本丸跡)

亀城公園(刈谷城本丸跡)

愛知県刈谷市にある刈谷城本丸跡、そしてと二の丸の一部を利用した城跡公園が亀城公園(きじょうこうえん)。刈谷城は天文2年(1533年)、水野忠政(みずのただまさ=徳川家康の生母・於大の方の父)の築城。刈谷城のなかでももっとも高台に位置するのが本丸です。

水野忠政の築城した刈谷城の城跡

江戸時代には刈屋藩(刈谷藩)の藩庁として機能し(水野家の後、松平家、本多家、土井家などが藩主で譜代大名の居城)、明治維新を迎えています。
本丸とはいえ刈谷城には天守が築かれたことはなく、本丸の四隅に隅櫓があったのみ。
東にある城池と小亀池は当時の内堀の名残りです。
城の西側は海(入江)でした。

第二次世界大戦中は城跡の高台に高射砲陣地が築かれたことなどから、遺構としては石垣が残る程度で、刈谷市体育館、刈谷球場、武道場、河川敷を利用した亀城公園運動広場などが築かれています。
公園内に建つ十朋亭(じっぽうてい)は、大正5年、刈谷城本丸隅櫓跡に財団法人刈谷士族会の集いの場として建築されたもの。

内堀の跡である城池の畔にトヨタの祖である豊田佐吉胸像(昭和27年建立)が建てられているのは、大正12年に、刈谷町に10万坪の土地を購入し、豊田紡織株式会社を刈谷に設立したから。

亀城公園には400本余のソメイヨシノが植栽され、例年3月下旬~4月上旬の開花期には花見客で賑わいます。

刈谷城の大手門は現在の亀城小学校の脇、刈谷幼稚園前あたりに位置し、刈谷球場東の交差点あたりが二の丸。
古い絵図を見ると二の丸に御殿が描かれていますが、名古屋城同様に政務はこの二の丸で司っていたのです。

水野忠政は、刈谷城を築城し、娘の於大を岡崎の松平広忠(まつだいらひろただ)に嫁がせますが、竹千代(家康の幼名)を産んだ後、実家である水野家(家督を継いだ於大の兄・信元)が織田家の西三河進攻に協力していることから、今川家との関係を慮った広忠により離縁され、刈谷城下に返され、椎の木屋敷で暮らしています(その後、阿古居城主・久松俊勝に再嫁)。

亀城公園(刈谷城本丸跡)
名称 亀城公園(刈谷城本丸跡)/きじょうこうえん(かりやじょうほんまるあと)
所在地 愛知県刈谷市城町1-1-1
関連HP 刈谷市公式ホームページ
電車・バスで 名鉄刈谷市駅から徒歩15分
ドライブで 伊勢湾岸自動車道豊明ICから約8km
駐車場 亀城公園駐車場(50台/無料)
問い合わせ 刈谷市文化観光課 TEL:0566-62-1037/FAX:0566-27-9652
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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