愛知県名古屋市中区大須2丁目、万松寺通りに連続し、大須観音本堂横へと通じる大須商店街のメインストリートが、観音通り。尾張名古屋三名水に数えられる清寿院の柳下水など昔ながらの大須のイメージをもっとも残した通りで、商店街散策に絶好。
大須のレトロなイメージをもっとも残した通り
江戸時代から明治にかけて花街としても発展した大須ですが、明治25年の大須大火(大須観音五重塔・仁王門などを焼失)後に衰退。
それを受け、大正元年、万松寺が寺領の山林を一般の商業用地として開放したことを契機に、演芸場、劇場、映画館が建ち並ぶ歓楽街へと発展しました。
戦前は東京・浅草、大阪・千日前と並ぶ「日本三大繁華街」と称されるほどでしたが、名古屋大空襲で大きな被害を受け、戦後は商店街として復興を遂げています。
発展の基礎を築いた万松寺脇の万松寺通り(「KOMEHYO(コメ兵)名古屋本店 本館」があるコメ兵のルーツの地)と、そこから西側にある大須観音をつなぐ商店街が観音通り。
連続してアーケードがあるので、雨の日でも傘無しでショッピング、食事ができます。
観音通りはかつての浅間通り。
一帯は、明応4年(1495年)に創建された富士山観音寺(清寿院/明治5年廃絶)の広い境内地で、明治の神仏分離で富士浅間神社となったことから、浅間通りという名称が付いたのです。
江戸時代、広い境内には芝居小屋や見せ物小屋が並んだといい、清寿院の柳下水も境内にありました。
明治維新後に遊興地として発展、柳下水の井戸(清寿院の井戸のある場所も戦前は太陽館という映画館が建っていました。
明治43年に鶴舞公園で開かれた共進会を契機として明治45年に開かれた古い映画館です(昭和初期、大須には23館もの映画館が存在)。
その太陽館も昭和60年に閉館し、現在はレトロな雰囲気の商店街として人気を集めています。
「KOMEHYO(コメ兵)名古屋本店 きもの館」があるのも大須観音通り。
通りの北側にある那古野山公園には、5世紀中~後半に建造されたと推測される前方後円墳があり、その西が大須演芸場という不思議な空間を生み出しています。
観音通り(大須商店街) | |
名称 | 観音通り(大須商店街)/かんのんどおり(おおすしょうてんがい) |
所在地 | 愛知県名古屋市中区大須2-16 |
電車・バスで | 地下鉄鶴舞線大須観音駅から徒歩4分 |
ドライブで | 名古屋高速2号東山線白川出口から約1km。または、名古屋高速都心環状線東別院出口から約1.5km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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