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尾張戸神社

尾張戸神社

愛知県名古屋市守山区と瀬戸市の境にある標高198.4mの東谷山(とうごくさん/名古屋市の最高峰)の山頂に鎮座する古社が尾張戸神社(おわりべじんじゃ)。古来、信仰を集めた霊山で、尾張国造・尾張氏の本貫地で、祭神も尾張氏の祖神・天火明命(あめのほのあかりのみこと)。

東谷山山頂にある古墳(円墳)に鎮座

尾張戸神社古墳の上に鎮座

平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載される古社で、江戸時代初期に当国明神という銘の入った鉄筒が出土していることから、幕末の『尾張名所図会』には尾張山と称されていたものが、当国から当国山、そして東谷山に転訛したと記されています。

東谷山の山麓には白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)などの志段味古墳群(しだみこふんぐん)、尾張最大の群衆墳(約50基)なども築かれた地で、尾張戸神社の鎮座する場所も、尾張戸神社古墳(4世紀前半の築造の円墳)で、中社(なかやしろ)も中社古墳上に、さらに南社(みなみやしろ)も南社古墳の墳丘上に鎮座し、いずれも国の史跡になっています(志段味古墳群を構成)。

4世紀前半に築かれた古墳の上に鎮座することから、尾張国造(おわりのくにのみやつこ)・乎止与命(おとよのみこと)の女(むすめ)、宮簀媛(みやづひめ)が創建したという伝承も、頷けるものがあります。
『日本書紀』によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国へ遠征の帰途、尾張国へ入り尾張氏の娘・宮簀媛を娶って滞在。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)を宮簀媛の家に残し、伊吹山へ荒ぶる神を鎮めるために出かけたと記され、『熱田大神宮縁起』には、草薙剣を奉斎して熱田神宮を創建したとあります。

名古屋城の鬼門の位置に鎮座することから、江戸時代には尾張徳川家の尊崇があり、2代藩主・徳川光友(とくがわみつとも)は寛文5年(1665年)、中社、南社、薬師堂(当時は神仏習合)を造営しています。
神仏習合時代の社殿は八幡造りでしたが、明治の神仏分離後、現在の神明造りに。

志段味古墳群は、66基の古墳が集中する名古屋市内最大の古墳密集地で、古墳の出現から終末に至る歴史的な経過をたどることができる古墳群。
つまり、古墳時代から大宝元年(701年)、大宝律令制定以降の律令時代に至る尾張国の歴史を刻む場所で、尾張国造の拠点だったことが推測できます。

尾張戸神社の鎮座する東谷山の山頂へは、東谷山フルーツパーク正門横から東谷山散策路(途中に南社古墳と中社古墳、2つの古墳を結ぶ140段の階段があります)で、徒歩25分。
南参道(尾張戸神社駐車場)、東参道(大鳥居)もあり、ともに徒歩20分ほど。

尾張戸神社
名称 尾張戸神社/おわりべじんじゃ
所在地 愛知県名古屋市守山区志段味東谷209・瀬戸市十軒町845
関連HP 尾張戸神社公式ホームページ
ドライブで 東名高速道路守山スマートICから約5km、春日井ICから約10km
駐車場 10台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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