砂町銀座商店街
東京都江東区、明治通りから丸八通りまで、東西670mに、180店舗が営業する江東区随一の商店街が、砂町銀座商店街。昭和7年に銀座に負けない商店街にしようと、名付けられたもので、戦後に現在の大商店街に。生鮮3品(野菜、肉、…
東京都江東区、明治通りから丸八通りまで、東西670mに、180店舗が営業する江東区随一の商店街が、砂町銀座商店街。昭和7年に銀座に負けない商店街にしようと、名付けられたもので、戦後に現在の大商店街に。生鮮3品(野菜、肉、…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、薬師寺「南大門付近からの白鳳伽藍全景」。東…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、元興寺「日本最古の屋根瓦」。「元興」は、日本…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが、春日山原始林「滝坂の道」。滝坂の道は、柳生街…
東武特急の「スペーシア X」を筆頭に、首都圏では鉄道旅行に最適の特急が運転されています。京王と京急は通勤にも使っている車両を土休日に座席指定特急で運転。その他は専用車両で運転され、いずれも全車指定席。乗車時間は短くても、…
奈良県奈良市の国営平城宮跡歴史公園、朱雀門ひろばにあるのが復原遣唐使船。飛鳥時代・舒明天皇2年(630年)〜平安時代初頭・承和5年(838年)、唐に16回派遣された使節が遣唐使。長さ30m、幅9.6m、排水量300t、積…
東京都北区、埼京線・十条駅近くにあるのが、十条銀座商店街。明治30年代後半、陸軍省板橋兵器庫、東京第一陸軍造兵廠などの陸軍関係の移転で、商店が並び始めたという歴史ある商店街で、全長は375mに、200店舗ほどが並んでいま…
埼玉県久喜市にあるNHK放送センターが管轄するラジオ第1放送とラジオ第2放送の送信所が、NHK菖蒲久喜ラジオ放送所。送信アンテナの高さは第1放送が245m、第2放送が215mで第1放送の送信塔は、国内の塔(タワー)として…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えましたが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが春日大社「春日鳥居の前でたたずむ鹿」。春日大…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが興福寺「若草山からの興福寺遠望」。興福寺のシン…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、SNS映えする「新・南都八景」を発表。そのうちのひとつが東大寺「二月堂の眺め」。国宝に指定される二月堂…
全国的にも珍しいナローゲージ(特殊狭軌)の北勢線で知られる三岐鉄道。四日市市の近鉄富田駅(きんてつとみだえき)と西藤原駅を結ぶ26.5kmの三岐線では、西武鉄道の旧形電車が大活躍。元西武701系が801系と851系、40…
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変。天正10年6月1日(1582年6月21日)、丹波亀山城(京都府亀岡市)を出陣した明智光秀が発した言葉が「敵は本能寺にあり」といわれていますが、同時代の史料には裏付けはありません…
三重県四日市市釆女町、旧東海道の杖衝坂(つえつきざか)にある神社が、日本武尊御血塚社(やまとたけるのみことおちづかしゃ)。伊吹山での荒ぶる神の祟りで病に倒れた後、急坂を杖を突いて上り、流れ出た血を洗い流した地に建てられた…
三重県四日市市釆女町、国道25号(名阪国道=自動車専用道)の走る東側に並走する旧東海道の坂が、杖衝坂(つえつきざか)。東海道では箱根、鈴鹿峠に次ぐ難所とされ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、伊吹山での荒ぶる…
栃木県大田原市藤沢にある農業用のため池が、琵琶池。もともと自然の沼でしたが、幕末〜明治初めに堤を築き、昭和30年に箒川から水を引いて田んぼへの給水が始まった灌漑用の池です。大田原市では羽田沼(はんだぬま)と並び、白鳥飛来…
奈良市の世界文化遺産「古都奈良の文化財」は令和5年で登録から25年の節目を迎えますが、奈良市観光協会では、12月1日、「新・南都八景」を発表。江戸時代に流布していた「南都八景」の令和バージョンで、SNSでの発信を期待し、…
三重県四日市市追分3丁目、現在、国道1号の追分交差点がある場所が、日永の追分(ひながのおいわけ) 。追分とは、街道の分岐点のことで、日永の追分では東海道から伊勢参宮の伊勢街道が分岐していました。伊勢神宮二の鳥居…