様々なジャンルの「日本三大」がありますが、そのなかでももっとも諸説あり、紹介するのが悩ましいのがこの日本三大名城(日本三名城)です。戦国時代までの中世の城郭、江戸時代以降の近世城郭という時代背景、規模の大きさで選ぶのか、はたまた築城者で選ぶのか、国宝などの文化財基準なのかで意見が分かれるところなのです。
江戸時代の番附では江戸城は別格扱い
江戸城、名古屋城、大坂城、姫路城、熊本城が候補
歴史的に見ると、江戸時代後期に流行した名城の番附(番付)や名数書などによると、日本三名城は、江戸城を別格として、大坂城、名古屋城、熊本城の三城です。
しかし、徳川将軍家の江戸城が別格扱いなので、規模を優先して江戸城、名古屋城、大坂城とするのが一般的です。
姫路城は!? とお思いの方も多いかと思いますが、姫路城が日本三大名城(日本三名城)に加わるのは近代(明治)以降のこと。
「城郭は軍事的な防御施設なので、その縄張り(曲輪の配置や大きさ、堀の深さ、幅などの基本的な設計)を評価することが重要」という研究者は、築城・縄張りの名手といわれた加藤清正と藤堂高虎の城を重視します。
これを基準にすれば、藤堂高虎(とうどうたかとら)による縄張りの名古屋城、大坂城、そして加藤清正による縄張りの熊本城ということに。
加藤清正は、名古屋城の築城に際しては、徳川幕府の外様大名として普請の命を受けていましたし、江戸城の築城にも関わっています(ちなみに加藤清正は豊臣秀吉とご近所の生まれ、尾張国愛知郡中村=現在の名古屋市中村区出身で、尾張名古屋は地元)。
加藤清正の清正流石垣(せいしょうりゅういしがき)と呼ばれる石垣積みが有名で、地震に耐えたという熊本城だけでなく天下普請(てんかぶしん)で築かれた江戸城や名古屋城でも活かされているのです。
徳川幕府の命で、諸大名を動員して行なわれた大規模土木工事が天下普請。
天下普請で築城された城は、江戸城、名古屋城、徳川時代の大坂城、徳川時代の駿府城、彦根城などなど。
天下普請を重視すれば国家的大プロジェクトの江戸城、名古屋城、大坂城となるわけです。
加藤清正を重視すれば熊本城、名古屋城、江戸城に。
ちなみに昭和6年の大日本雄弁会講談社が刊行した『社会百面相 川柳漫画と番附いろいろ』に掲載された「徳川時代城番附」では、江戸城、大坂城は取締など別格扱い、名古屋城、和歌山城、二条城、明石城は行事役、東西の大関(最高位)が金沢城や鹿児島城となっていますから、まだ戦災で各地の名城が失われていない当時の時代背景などが伝わってきます。
日本三大名城(日本三名城)とは!? | |
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