津軽海峡冬景色歌謡碑
作詞・阿久悠(あくゆう)、作曲・編曲三木たかしという黄金コンビで昭和52年に大ヒットした演歌が石川さゆりが歌った『津軽海峡・冬景色』。その歌碑が立つのが、津軽海峡を見下ろす龍飛崎の高台です。歌碑は、ボタンを押すと「ごらん…
作詞・阿久悠(あくゆう)、作曲・編曲三木たかしという黄金コンビで昭和52年に大ヒットした演歌が石川さゆりが歌った『津軽海峡・冬景色』。その歌碑が立つのが、津軽海峡を見下ろす龍飛崎の高台です。歌碑は、ボタンを押すと「ごらん…
大観密寺(だいかんみつじ)は真言宗智山派(京都の智積院が本山)に属す密教寺院。境内に高さ100mもの仙台天道白衣大観音(仙台大観音)がそびえ立っています。胎内は12層に分かれ、各層には三十三観音・十二神将・百八体仏など1…
秋保大滝に入口に祀られた秋保大滝不動尊の正式名は滝本山西光寺。不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺で、東北三十六不動霊場29番札所。円仁(慈覚大師)が開基と伝えられる古刹です。860(貞観2)年、出羽国(山形県)に山寺を…
関門海峡門司港側の和布刈(めかり)地区に建つ古社が和布刈神社。眼前は関門海峡でも一番幅が狭く潮の流れが速い早鞆瀬戸(はやとものせと)だ。社伝によれば神功皇后の三韓遠征凱旋時に創建といい、古代から関門海峡の守護神、大陸への…
昭和33年に完成した関門トンネル(国道2号)は、世界初の海底トンネル。トンネル内部は2層になり、上が車道、下が徒歩用の関門トンネル人道になっています。全長780mの関門トンネル人道は、歩道入口までエレベーターが設置され、…
703(大宝3)年に利修仙人(りしゅうせんにん)が開山したと伝えられる古刹、鳳来寺(ほうらいじ)。真言宗五智教団(しんごんしゅうごちきょうだん)の本山で、文治年間(1182〜1189年)に源頼朝が堂宇を建立、鎌倉時代には…
3代将軍・徳川家光が造営を発願して創建されたのが鳳来山東照宮(ほうらいさんとうしょうぐう)。完成は1651(慶安4)年、4代将軍・徳川家綱の時代で、日光東照宮を模して建てられた本殿は、江戸初期の建築法を残す貴重なものとし…
太平洋に突き出した志摩半島の南東端に位置する大王崎。熊野灘と遠州灘を分け、沖で黒潮と親潮がぶつかり波を切ることから波切(なきり)の地名が付きました。大王埼灯台そばの波切漁港は、スケッチに訪れる人も多い雰囲気ある港町。
志摩半島の南東端の太平洋を一望する海食台地の断崖、大王崎に建つ大王埼灯台。この地は奈良時代には、すでに海上監視の防人(さきもり)が置かれた沿岸航路の要衝。灯台の建つ岬は波切(なきり)と呼ばれ、その沖合は遠州灘と熊野灘がぶ…
三重県鳥羽市、鳥羽の沖合いに浮かぶ菅島(すがしま)の東端に建つのが菅島灯台。明治6年7月に初点灯という歴史ある灯台で、「日本の灯台の父」といわれる英国人技師リャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Br…
鳥羽港の沖、14kmに位置する神島の灯台。神島は伊良湖岬と志摩半島の間の伊良湖水道にあり、潮の流れが激しいことから「安房の鳴門か音戸の瀬戸か伊良湖度合いが恐ろしや」と船頭歌に唄われたほど。「日本の三海門」のひとつで海の難…
小豆島中央部に位置し、東西7km、南北4kmにおよぶ大渓谷が、寒霞渓(かんかけい)。花崗岩、安山岩などが浸食され、奇岩・奇峰群となったもので、古くは『日本書紀』に応神天皇が岩に鉤(かぎ)をかけて登ったとの記述から、鉤掛山…
小豆島(しょうどしま)の土渕海峡は、土庄(とのしょう)港と池田湾の間にある海峡(海峡=陸地によって狭められている海域)。小豆島と前島に挟まれた海峡は、海峡といっても全長は2.5km、最大幅400m、最小幅は、なんと9.9…
男木島の北端に明治28年12月10日に初点灯した全国でも珍しい総御影石造りの灯台が男木島灯台。日清戦争直後の海運助成策で、急増する瀬戸内海航路の安全のために灯台が建設されました。総御影石造りで無塗装の灯台は角島灯台(つの…
日本100名城に選定される丸亀城の城跡公園が亀山公園。現存12天守の中でもっともミニサイズの天守が、日本一高いといわれる石垣群の上にそびえたっています。山麓から山頂まで、4層になる石垣は、総高60mにも及びます。正面玄関…
今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市) と並んで日本三大水城に数えられる高松城。埋め立てや市街化が進んではいますが、今も内堀は海とつながり、水門で水位が管理されています。そんな内堀を和船で遊覧するのが「玉藻丸」で…
玉藻公園は、玉藻城とも呼ばれる高松城の城跡。高松城は1588(天正16)年、豊臣秀吉の重臣・生駒親正(いこまちかまさ)の築城以来、生駒4代、松平11代にわたって歴代高松藩主の居城となった城。現存する遺構は、1642(寛永…
江戸時代には高松城の北側は真下まで海で、藩主は水手御門から小舟で出て、沖に停泊する御座船「飛龍丸」に乗り換えて参勤交代に出かけていたという。その時、出入りに使われた門が水手御門で、国の重要文化財に指定されています。