唐招提寺・芭蕉句碑
唐招提寺を開山した唐僧・鑑真和上は、大唐国揚州の高僧で、聖武天皇の招きに応じ、苦難の末754(天平勝宝6)年に渡来。その間12年を要し、両目を失明するという苦難も乗り越え東大寺に到着。この鑑真和上像に対面した芭蕉は「若葉…
唐招提寺を開山した唐僧・鑑真和上は、大唐国揚州の高僧で、聖武天皇の招きに応じ、苦難の末754(天平勝宝6)年に渡来。その間12年を要し、両目を失明するという苦難も乗り越え東大寺に到着。この鑑真和上像に対面した芭蕉は「若葉…
中山道屈指の難所だった旧碓氷峠の上信国境(上州と信州の国境=群馬・長野県境)に建つ神社。旧中山道から社殿へと登る石段の中央が国境で(石段に注目)、上州(群馬県)側が熊野神社、信州(長野県)側が熊野皇大神社となっています。…
隅田川をまたぐ新大橋通り(東京都道・千葉県道50号東京市川線)に架かる橋。中央区日本橋浜町2・3丁目と江東区新大橋1丁目を結ぶ橋で昭和52年に完成。もともとは、元禄6年12月7日(1694年1月4日)に当時「大橋」と呼ば…
1639(寛永16)年、天海大僧正が3代将軍・徳川家光に要請し、世良田の長楽寺境内に日光東照宮奥社(元和年間に造営の多宝塔、唐門、拝殿)を移築して創建したのが世良田東照宮。本殿はその際に新築され、徳川家康(東照大権現)を…
1471(文明3)年から戦国大名の朝倉氏が5代103年間にわたって越前国を支配した城下町の跡が一乗谷朝倉氏遺跡。昭和42年から行なわれた調査で、朝倉義景館跡、武家屋敷、寺院、町屋、庭園など戦国時代の町並みがほぼ完全な姿で…
秩父札所の中で石仏の寺として名高いのが札所4番・金昌寺。山門の大わらじが印象的で、記念撮影の人気スポットになっていますが境内には1300体の石仏が配され、奥の院から山門まで一巡して拝観できる仕組み。本堂手前左に井戸が長命…
秩父札所二番の大棚山真福寺は、曹洞宗の寺で本尊は聖観音。かつて33ヶ所だった秩父札所を34ヶ所とし、西国札所、坂東札所と合わせて100ヶ所霊場にするため、最後に加えられた寺です。桃の並木の参道はハイキングコースのような登…
四萬部寺は秩父三十四所観音霊場の1番札所で曹洞宗の寺。性空上人(しょうくうしょうにん)の弟子・幻通比丘(げんどうびく)が、4万部の仏典を読誦し、経塚を築いたことから誦経山四萬部寺(ずきょうさんしまぶじ)と名付けられました…
日光街道・奥州街道の草加宿(そうかしゅく)は千住宿、越ヶ谷宿の間の間の宿(あいのしゅく)として1630(寛永7)年に設けられた宿場。草加松原は、かつての街道沿いに残る松並木で、綾瀬川に沿って栄町3丁目の旧道南側詰から神明…
1616(元和2)年に没した徳川家康の法要は、久能山から日光山輪王寺に改葬される際の1617(元和3)年3月23日〜26日に川越の喜多院で執り行なわれています。その際に、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜されていますが…
唐津市の七山地区を流れる滝川川(玉島川の支流)の中流に懸かるのが観音の滝。七山とはその名の通り標高600m内外の7つの山に囲まれたエリアで、上流には「九州の尾瀬」と呼ばれる樫原湿原(かいばるしつげん)もあります。観音の滝…
三保の松原(静岡県)、気比の松原(福井県)と並び、「日本三大松原」に数えられる景勝地で国の特別名勝になっているのが唐津市の虹の松原。松浦川の河口から浜玉町にかけて5km、幅400m〜700mで、230haにも渡る長大な松…
映画『のぼうの城』で一躍有名になった、石田三成の忍城水攻め。その水攻めの際に築かれたのが石田堤と通称される総延長28kmに及ぶ堤です。行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、250mが現存し、石田堤史跡公園として、埼玉県…
欽明天皇(539年〜571年)の御代、天皇の勅願で創建したという古刹が西予市宇和町に建つ明石寺(四国八十八ヶ所霊場第43番札所)。734(天平6)年には、寿元行者が熊野から十二社権現を勧請し、12坊を建て修験道場となりま…
錦帯橋(きんたいきょう)は、1673(延宝元)年、3代岩国藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)の命により築かれた5連アーチ型の木橋。杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルに架けられたという。猿橋(山梨県大月市)、祖谷のかずら橋…
山梨県大月市を流れる桂川に架かる全長30.9m、幅3.3m、谷からの高さ31mの木造橋が猿橋。愛本橋(現存せず)、岩国の錦帯橋とともに、日本三奇橋に数えられています(祖谷のかずら橋、日光・神橋を加える場合も)。橋脚を使わ…
親孝行な樵(きこり)・源丞内(げんじょうない)が山中で見つけた山吹色の水が、実は老父の大好きな酒で、これを飲んだ老父はすっかり若返ったという『古今著聞集』収録の孝行伝説の地、養老。そのシンボルが 落差32m、幅4mの名瀑…
1689(元禄2)年旧暦8月21日、俳聖・松尾芭蕉は、5ヶ月にわたる『奥の細道』の旅を大垣で終え、「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠んで、式年遷宮の伊勢神宮を目指し、水門川の船町港(船町湊)から長島・大智院へと揖斐川を舟で下っ…