夏目漱石内坪井旧居

第五高等学校(現在の熊本大学)に英語教師として赴任した夏目漱石は、明治29年4月から4年3ヶ月を熊本で過ごしていますが、その間に6回も引っ越しを重ねる引っ越し好き。そのなかで夏目夫妻がもっとも気に入ったのが5番目の住居、内坪井旧居です。

熊本で暮らしたもっとも立派な家は記念館として現存

坪井旧居で長女・筆子が産まれ、「安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり」と詠んでいます。
漱石の自伝的小説『道草』には、産婆の来ないうちに始まった出産に主人公の健三が大慌てとなり、赤ん坊に指で触ると、「寒天のようにぷりぷりしていた」と記されています。
長女・筆子の産湯に使った井戸も現存し、その横に「安々と海鼠の如き子を生めり」の句碑が立っています。

鏡子夫人は、「熊本にいた間、私共が住んだ家の中で一番いい家」としていますし、それが証拠に、引っ越し魔・漱石としては、最長となる1年8ヶ月をここで暮らしているのです。

現在は記念館となり応接間には直筆の原稿などを展示している。

漱石が引っ越した家は、もう一軒、大江村にあった旧宅が水前寺公園内に保存されています。

夏目金之助(夏目漱石)の熊本暮らしに注目!
夏目金之助(夏目漱石)が池田停車場(上熊本駅)に降り立ったのは、明治29年4月13日。
金之助29歳の時です。
当時の第五高等学校教授・菅虎雄の斡旋によるもので、五高の英語講師として招かれ、熊本で中根鏡子を花嫁として迎え、新婚生活を送っています(結婚式は熊本での最初の家である光琳寺の家の離れの6畳で行なわれています)。
金之助は、明治33年7月、文部省の命を受けて英国留学のために熊本を離れるまで4年3ヶ月間を熊本で過ごし、『草枕』や『二百十日』の作品を残しています。
愛媛県・松山市や道後温泉は夏目漱石で有名ですが、その足跡は、熊本市にも多く残されています。
『吾が輩は猫である』に登場の多々良三平のモデル・俣野義郎は漱石が熊本で五高教授をしているときに書生として世話をした人物で、この内坪井の家で書生においてほしいと頼み込んでいますが、物置以外に空いた部屋がないと金之助は断っています。

夏目漱石内坪井旧居
名称 夏目漱石内坪井旧居/なつめそうせきうちつぼいきゅうきょ
Former Residence of Natsume Soseki
所在地 熊本県熊本市中央区内坪井町4-22
関連HP 熊本市公式ホームページ
電車・バスで 熊本交通センターから壷井橋方面行き市バスで10分、壷井橋下車徒歩5分
ドライブで 九州自動車道熊本ICから約8km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 夏目漱石内坪井旧居 TEL:096-325-9127
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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