関ヶ原古戦場・小西行長陣跡
岐阜県不破郡関ケ原町、天下分け目の戦い、関ヶ原合戦で西軍の将として布陣。陣を構えたのは、開戦地に近い北天満山で、現在の西田公園あたりが関ヶ原古戦場・小西行長陣跡。北は北国街道、南は中山道を抑えるという要衝で、合戦の火蓋が…
岐阜県不破郡関ケ原町、天下分け目の戦い、関ヶ原合戦で西軍の将として布陣。陣を構えたのは、開戦地に近い北天満山で、現在の西田公園あたりが関ヶ原古戦場・小西行長陣跡。北は北国街道、南は中山道を抑えるという要衝で、合戦の火蓋が…
岐阜県不破郡関ケ原町、東海道新幹線の車窓から眺める関ヶ原古戦場には、東西両軍の武将が陣取った陣跡が表示され、陣跡を巡る散策が人気となっています。関ケ原町立関ケ原中学校のすぐ北側にあるのが藤堂高虎・京極高知陣跡。その西には…
岐阜県不破郡関ケ原町、東山道(近世の中山道)不破関の東、春日神社が、関ヶ原古戦場・福島正則陣跡。福島正則は、おね(北政所)と頂点とする尾張・武断派と、茶々(淀殿)を頂点とする近江・文治派との対立の際には、石田三成襲撃事件…
慶長5年9月15日(1600年10月21日)、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で行なわれた天下分け目の関ヶ原合戦。関ヶ原古戦場の岡山(丸山)烽火場にあるのが、黒田長政・竹中重門陣跡。竹中半兵衛と黒田官兵衛(「両…
永禄3年(1560年)、那古野城(愛知県名古屋市、後の名古屋城)を目指し駿河・遠州・三河の4万5000余の大軍で西へと進軍する今川義元に対し、尾張を統一目指していた織田信長が挑んだ合戦が、桶狭間の戦い(おけはざまのたたか…
徳川家康が参戦した最初の大規模な合戦は、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)。「どうする家康」と窮地に立たされたことも何度もありながら、ついに天下人となるまでの、9ヶ所の激戦地(古戦場)を、現地の詳細情報をサイト内リンク…
静岡県掛川市の高天神城を主戦場に、遠州進出し、上洛を狙う武田信玄、武田勝頼と徳川家康(その背後に織田信長)との間での二度に渡る激戦が、高天神城の戦い。高天神城を攻略するために、武田勝頼は諏訪原城、徳川家康が横須賀城を築く…
愛知県新城市上平井、織田信長が長篠の戦いの折、最初の本陣としたのが、長篠設楽原古戦場・織田信長本陣跡(極楽寺跡)。設楽原に軍を進めた織田信長は、最初、この極楽寺山に本陣を構えています。極楽寺はそれ以前に焼失しており、後世…
愛知県新城市長篠、曹洞宗の寺・医王寺一帯が、長篠設楽原古戦場・武田勝頼本陣跡。天正3年(1575年)の長篠の戦いの際、医王寺の裏山に武田勝頼は本陣を置いています。丘陵の先端部で比高が30mほどある天然の要害で、長篠城包囲…
東京都府中市、鎌倉と北関東を結ぶ主要道路の通称「陣街道」沿いにある古戦場が、分倍河原古戦場(ぶばいがわらこせんじょう)。元弘3年5月15日〜5月16日(1333年6月27日〜6月28日)、新田義貞率いる反鎌倉幕府軍と、北…
埼玉県所沢市、西武池袋線の西1.5kmほどのところ、北野小学校・北野中学校、あかねの風保育園の西にあるのが、小手指ヶ原古戦場の碑。元弘3年(1333年)、上野国(現在の群馬県)を本拠とする新田義貞軍と鎌倉幕府軍が激戦を展…
山梨県甲州市勝沼町、国道20号沿いにあるのが、柏尾古戦場跡(かしおこせんじょうあと)。慶応4年3月6日(1868年3月29日)、新選組と会津藩兵からなる甲陽鎮撫隊(121名)は、因幡藩、板垣退助らの土佐藩、高遠藩からなる…
熊本県熊本市北区、西南戦争の激戦地、田原坂(たばるざか)の三の坂一帯を公園化したのが田原坂公園。明治10年に勃発した西南戦争。熊本城の救援に駆けつけた政府軍と西郷隆盛率いる薩軍が3月4日〜3月20日にかけて17日間におよ…
滋賀県長浜市余呉町川並、湖北にそびえる標高421.1mの賤ヶ岳(しずがたけ)山頂一帯が賤ヶ岳古戦場。信長没後の天正11年(1583年)、羽柴秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで、秀吉方で活躍した7人の武将は「賤ヶ岳の七本槍」…
長野県長野市小島田町、犀川と千曲川に囲まれた文字通り島のようになった部分が川中島。甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が死闘を繰り広げた川中島合戦の主戦場は川中島古戦場史跡公園(八幡原史跡公園)として保存されています。一騎討ち…
秋田県横手市にある、平安時代の東北の動乱、後三年の役(ごさんねんのえき=後三年合戦)を紹介するミュージアムが、後三年合戦金沢資料館。横手市北部の金沢地区は、奥州藤原氏登場や中世武家社会誕生のきっかけとなった後三年合戦(後…
秋田県横手市にある源義家(みなもとのよしいえ)ゆかりの古社が金澤八幡宮(かねざわはちまんぐう)。寛治7年(1093年)、後三年の役(ごさんねんのえき)で奥羽平定を果たした源義家が、藤原清衡(ふじわらのきよひら=奥州藤原氏…
石川県加賀市、片山津温泉のはずれ、国立石川病院に隣接する池が首洗池。一帯は寿永2年(1183年)、倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で敗走した平家軍と木曽義仲の軍が戦った源平の篠原古戦場。討ち死にした斎藤実盛…