小谷城
滋賀県長浜市の小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城で国の史跡が小谷城(おだにじょう)。大永4年(1524年)頃に浅井亮政(あざいすけまさ)が自然の地形を巧みに…
滋賀県長浜市の小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城で国の史跡が小谷城(おだにじょう)。大永4年(1524年)頃に浅井亮政(あざいすけまさ)が自然の地形を巧みに…
江戸幕府が倒れ、大政奉還(たいせいほうかん)が行なわれたのが、慶応3年(1867年)。これに不満をもった旧幕臣の榎本武揚(えのもとたけあき)らが占拠し、最後の砦となったのが、箱館(北海道函館市)の五稜郭(ごりょうかく)で…
北条氏最後の執権・北条高時(ほうじょう たかとき)が葛西ケ谷の東勝寺で自害した後、北条一族の霊を弔うため、建武2年(1335年)、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(発願は後醍醐天皇)によって建立されたのが宝戒寺(ほうかいじ)。…
鎌倉葛西ケ谷にある鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺で、関東十刹(かんとうじゅっさつ)に数えられた東勝寺の跡地。栄西の弟子の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)が鎌倉幕府第3代執権・北条泰時(御成敗式目を制定したことで…
織田信長の死後、羽柴秀吉と徳川家康が覇権を争って戦った小牧・長久手の戦いの主戦場・長久手古戦場仏ヶ根跡を公園として整備したのが長久手古戦場公園。長久手合戦では家康軍が勝利を収め、秀吉軍には多数の戦死者(両軍の死者は秀吉軍…
福島県の二本松市街から東へと延びる国道459号沿いの東新殿(国道349号との分岐点近く)に咲く2本の桜の巨樹が「合戦場のしだれ桜」。合戦場という名は平安時代後期に起きた前九年の役(ぜんくねんのえき)の戦場という伝承から。…
仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音…
須磨浦公園とその周辺は、源平合戦の一の谷古戦場の跡。公園内には平敦盛(たいらのあつもり)の供養のため建てられたという五輪塔、敦盛塚(神戸市指定有形文化財)もあります。弱冠17歳(『源平盛衰記』では16歳)にして一の谷の合…
源平合戦(治承・寿永の乱)の古戦場として知られる須磨。一の谷から西一帯の海岸が一の谷の戦いの舞台とされ、「戦の濱」と通称されています。現在は鉄拐山、鉢伏山を含む103.8haという広大な須磨浦公園として整備されています。…
明治10年、西郷隆盛率いる西郷軍は西南戦争田原坂(たばるざか)の戦いに敗れ、鹿児島に戻り城山にたてこもります。政府軍4万に対し、西郷軍は300人という劣勢でしたが、9月19日から9月24日未明に至るまで、西郷隆盛は現在、…
寿永2年5月11日(1183年6月2日)、木曽義仲(源義仲)率いる源氏が平維盛の平家と激突した砺波山合戦(となみやまがっせん)の古戦場が、倶利伽羅峠古戦場(くりからとうげこせんじょう=倶利伽羅県定公園)。牛500頭の角に…
応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争い…
浜松市街の犀ヶ崖公園(さいががけこうえん)の北、国道257号(姫街道)沿いの地に立つ石碑が夏目次郎左衛門吉信(夏目吉信)の碑。犀ヶ崖古戦場の一角に位置するこの地は、夏目次郎左衛門吉信が「我こそは家康なり」と影武者に徹して…
上洛を狙う武田信玄に対して、織田信長と同盟を結び、遠州へと進出した徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。この戦で徳川家康は大敗を喫して、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、撤退する徳川軍の中で、最後尾となる殿(しんがり)を買…
三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
湊川の合戦で足利軍と戦い命を落とした楠木正成(くすのきまさしげ)を祭神に明治5年に創建された神社。湊川の合戦は、1336(建武3)年、九州から東上した足利尊氏の軍を兵庫・湊川で新田義貞・楠木正成らが迎えうった戦い。境内に…