清水宗治首塚
岡山県岡山市北区にある備中高松城主・清水宗治首塚。羽柴秀吉は、備中高松城の水攻めの際、本能寺の変で織田信長が討たれたことを秘匿して、城主・清水宗治の自刃で和睦を実現しています。清水宗治首塚は、明治43年、羽柴秀吉の本陣跡…
岡山県岡山市北区にある備中高松城主・清水宗治首塚。羽柴秀吉は、備中高松城の水攻めの際、本能寺の変で織田信長が討たれたことを秘匿して、城主・清水宗治の自刃で和睦を実現しています。清水宗治首塚は、明治43年、羽柴秀吉の本陣跡…
岡山県岡山市市北立田に残る備中高松城の戦いの史跡が高松城水攻め史跡公園(蛙ヶ鼻築堤跡)。備中高松城の南側に2.6kmにわたる堤をわずか12日間で築き、人工の湖を出現させた「備中高松城の水攻め」。織田信長の命を受けた羽柴秀…
徳島県小松島市にある源平合戦ゆかりの史跡が旗山(はたやま)。屋島の戦いの直前、元暦2年2月18日(1185年3月18日)、源義経(みなもとのよしつね)率いる源氏の軍勢が阿波勝浦(現在の小松島)の尼子ヶ浦に上陸して、平家が…
愛知県豊明市前後町仙人塚、桶狭間古戦場伝説地の東1kmほどの住宅地にある塚が戦人塚。桶狭間の戦いの戦死者を供養した塚と伝えられ、豊明市側にある桶狭間古戦場伝説地とともに、国の史跡になっています。現在でも桶狭間合戦の際に戦…
永禄3年5月19日(1560年6月12日)、織田信長が今川義元を討ったとされる桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)が行なわれた桶狭間古戦場は豊明市から名古屋市緑区にかけての一帯ですが、桶狭間の戦いの決戦の地というのは特定…
愛知県新城市、長篠城(ながしのじょう)を眼前にする有海原の篠場野に立つ碑が鳥居強右衛門磔死之碑(とりいすねえもんたくしのひ)。長篠の戦いの際、徳川家康(岡崎城)への救援要請という重要な使命を負って豊川を泳ぎ下って長篠城の…
現在の愛知県新城市を舞台にした長篠の合戦の激戦地、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)。武田軍のは精鋭の騎馬隊を誇りましたが、織田・徳川連合軍は、設楽原中央を流れる連吾川の西岸に馬防柵を2kmに渡って築き…
愛知県新城市、長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)にある、決戦の際に弾正山( だんじょうやま )に構えた徳川家康本陣跡。武田軍に包囲され籠城した長篠城を救援するため徳川家康は設楽原に出陣し、弾正山に陣を構…
最初の蒙古襲来・文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。博多湾岸の東西に20kmにも渡って延び、9ヶ所ほどが現存(国の史跡)しますが、…
文永11年10月20日(1274年11月19日)、元軍は博多湾(現・福岡県福岡市)に襲来し、主力部隊となる蒙古・漢軍は百道原に上陸、祖原、鳥飼、赤坂の一帯が激戦の地となりました。元軍の一部隊が陣を構えた古戦場のひとつが祖…
福岡県福岡市東区にある陸繋島の志賀島(しかのしま)。古代、大陸への玄関口で、金印(漢委奴国王印)出土で有名ですが、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)では、元軍と日本軍(鎌倉幕府軍)との激戦地にもなっています。蒙古塚は、戦死した蒙…
二度にわたる博多湾への元寇(げんこう)のうち、文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。福岡市早良区の西新地区(にしじんちく)は、当時、…
永暦元年(1160年)、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま=静岡県伊豆の国市)に流刑になった源頼朝は、20年を伊豆で過ごしますが治承4年(1180年)、以仁王(もちひとおう)の平氏追討の令旨を受けて挙兵。平家方と激戦を展開し、…
文永11年(1274年)、元・高麗連合軍は3万の大軍で博多湾西部に上陸(文永の役)。その後、博多の海岸線には防塁を築いていますが、保存整備されて見学が可能なのが元寇防塁跡(今津地区)。弘安4年(1281年)の2回目の蒙古…
天王寺公園の北端にある小さな小山が茶臼山。大阪市内で最大級の前方後円墳との説もありますが、延暦7年(788年)に和気清麻呂が上町台地を掘削したときの残土を盛った丘ともいわれています。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で…
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で、豊臣方は最終決戦に臨み、防御が薄くなった大坂城に籠もるのでなく、天王寺周辺に陣を敷くことに決めました。真田幸村(真田信繁)は、前年に敵将・徳川家康が陣を築いた茶臼山を本陣としますが…
新潟県小千谷市にある、上越新幹線が山頂直下をトンネルで抜ける標高341mの朝日山。明治元年・慶応4年(1868年)の北越戊辰戦争時、隣接する三国街道の難所・榎峠とともに、新政府軍と長岡藩の攻防戦が行なわれた激戦の地。山頂…
新潟県長岡市南端の旧国道17号沿い、妙見堰近くにあり、小千谷市とも接するのが榎峠(えのきとうげ)。ここは明治元年・慶応4年(1868年)の北越戊辰戦争時、新政府軍と長岡藩軍(奥羽越列藩同盟)の攻防戦が行なわれた激戦地です…