振徳堂
第31代飫肥藩主・伊東祐相(いとうすけとも)の命で、江戸時代後期の天保2年(1831年)に開設した飫肥藩の藩校が振徳堂(しんとくどう)。石垣に囲まれた広い敷地内に、長屋門と主屋が保存されています。明治時代、外交官として活…
第31代飫肥藩主・伊東祐相(いとうすけとも)の命で、江戸時代後期の天保2年(1831年)に開設した飫肥藩の藩校が振徳堂(しんとくどう)。石垣に囲まれた広い敷地内に、長屋門と主屋が保存されています。明治時代、外交官として活…
宮崎県日南市、藩政時代に飫肥藩(おびはん)の藩庁となった飫肥城は、周囲が24町(約2.6km)あり、本丸、藩主の生活の場だった松尾の丸、中の丸、今城、西の丸、北の丸、松の丸、小城、中の城、宮薮、八幡城からなる、典型的な平…
宮崎県日南市、飫肥城の大手門の前にある歴史的な建造物が豫章館(よしょうかん)。藩主・伊東家の家臣・伊東主水(いとうもんど)の屋敷で、飫肥の武家屋敷のうちでももっとも格式の高い家が現存(明治元年築)。飫肥藩の典型的な武家屋…
宮崎県日南市の飫肥城(おびじょう)の城下町に現存するのが小村寿太郎生家。明治時代に外交官として活躍した小村寿太郎(小村壽太郎)は、安政2年9月16日(1855年10月26日)、飫肥藩の下級藩士・小村寛平と梅子の長男として…
埼玉県富士見市南畑にある中世の城、難波田城(なんばたじょう)の城跡公園が難波田城公園。荒川低地の一角に築かれた難波田氏の城館跡で、三重の堀と土塁に囲まれた平城。1万7240平方メートルが公園として整備され、東側が難波田城…
埼玉県行田市、行田の足袋産業全盛期を象徴する建物のひとつが旧小川忠次郎商店。現在、そば店「忠次郎蔵」として再生される店蔵は、行田市内では5棟だけとなった、本格的な蔵造りの店舗で、国の登録有形文化財。大正13年頃に建築工事…
宮崎県宮崎市佐土原町にある平安時代後期の寛治7年(1093年)に創建したと伝わる古社が巨田神社(こたじんじゃ)。古くは巨田八幡と称し、宇佐神宮(大分県/神仏習合時代には弥勒寺が別当で、宇佐八幡宮弥勒寺)の荘園である田島荘…
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の巨大な軍事基地・名護屋城(佐賀県唐津市)には、おびただしい数の諸大名の陣屋が存在。地元で「越後陣」と呼ばれた米納戸(ヨノド)近くにあるのが上杉景勝陣跡。上杉景勝は、豊臣政権の重臣・五大老の一人で、…
築城の達人・加藤清正を筆頭に、諸将の普請によって築かれた名護屋城(佐賀県唐津市)。標高89mの山頂部分には5層7階、高さ25~30mの天守を有した本丸があり、22m×18mの天守台の跡からは、巨大な礎石列や穴蔵が発掘、周…
佐賀県唐津市湊の沖合800mに浮かぶ神集島(かしわじま)。古くは狛嶋(こましま)、柏島(嶋)とも呼ばれていましたが、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮出兵の折に当地で航海安全と戦勝を祈願、その際に神々が集ったとの神話から…
佐賀県太良町の南端、有明海に突き出すようにある竹崎島にある中世の城跡が竹崎城(竹崎城址展望台)。竹崎島の灯台の建つ東側(有明海側)の丘の上に、中世の山城と水城の性格をあわせもつ竹崎城があります。南北朝時代の永和4年・天授…
佐賀県佐賀市にある佐賀藩が幕末の安政5年(1858年)に設立した蒸気船などの造船修理施設の跡が三重津海軍所跡。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっています。筑後川の支流であ…
熊本県宇城市にある三角西港は、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。三角西港を見下ろす高台に建つ宇城市立九州海技学院は、旧宇土郡役所を再生したもの。明治35年に宇土郡役所として…
熊本県熊本市中央区、熊本大学のキャンパス内にある赤レンガ建築が熊本大学五高記念館。明治22年に完成した旧制第五高等学校(明治23年10月10日開校、現在の熊本大学)の本館で国の重要文化財。設計は文部省の技師、山口半六と久…
三角西港(熊本県宇城市)は、宮城県の野蒜港、福井県の三国港と並ぶ明治三大築港のひとつ。石積み埠頭の脇に建つのが旧三角海運倉庫。明治20年築の土蔵白壁造りの荷揚げ倉庫で、国の登録有形文化財に指定されています。現在はレストラ…
三井三池炭鉱の積出港として繁栄した三角西港(熊本県宇城市)。大正7年に明治天皇の即位50周年を記念して宇土郡教育会が建てた木造平屋建ての洋館(明治天皇頌徳記念館)が龍驤館(りゅうじょうかん)です。宇土郡の公会堂、産物の陳…
熊本県天草郡苓北町、天草下島の陸繋島・富岡半島にある近世の平山城が富岡城。慶長7年(1604年)、天草統治の拠点として築城された城で、『肥前甘艸富岡城図』をもとにした復元作業が行なわれ、石垣や多聞櫓が完成。本丸の多聞櫓は…
熊本県玉名市、明治時代に建造された干拓関連施設で国の重要文化財に指定されるのが明丑開潮受堤防(めいちゅうびらきしおうけていぼう)。明治26年に築かれた高さ5m~6m、全長1.4kmにも及ぶ石造堤防で、万里の長城のミニチュ…