旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)

旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)

長崎県佐世保市平瀬町にあるレトロな建物が旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)。大正12年5月、佐世保鎮守府管下の12県(九州・四国・沖縄)から、建設予算8万6000円(現在の価値で11億円)の寄付によって建設されたのが佐世保鎮守府凱旋記念館です。国の登録有形文化財、文化庁の近代化遺産に認定。

戦後は米軍のダンスホールにもなっていた!

旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)

レンガと鉄筋コンクリート造りの2階建て、正面に切妻を見せるシンメトリー(左右対称)で重厚な外観です。

完成当初は海軍関係の催事に使用されましたが、戦時下では、「伊六十三潜海軍合同葬」などの式場にもなっています。
戦後は米軍(連合国軍第6軍第5海兵軍団)の進駐で摂取され、その後は日米安保条約による提供施設となり、「ショーボート」(Show Boat)の名でダンスホールや映画館として使用され、昭和52年に返還。
昭和57年、佐世保市に譲渡され、市民文化ホールとして再生、平成25年には耐震工事(同時に凱旋記念館時代への復元工事)が実施されています。

1階はホール、2階には会議室や凱旋記念館に関する展示施設となっています。
正面入口にはガス灯がありましたが、アメリカ軍によってランプ部が外されて台のみ現存しています。
見学は無料ですが、ホール使用時は見学できない場合があるので、事前に確認を。

旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)は、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成資産にもなっています。

「凱旋」したのは第一次世界大戦・地中海から

第一次世界大戦の際、日英同盟に基づいて連合国として参戦、当時ドイツ領だった山東省・青島、南洋諸島をイギリス軍とともに攻撃、さらにヨーロッパでの戦火が拡大すると、イギリス軍の要請に応じ、佐世保鎮守府所属艦船を地中海に派遣しています。
地中海では、マルタ島を拠点に輸送船の警備を担い(護衛した艦船788隻、輸送人員75万人)、駆逐艦「榊」(さかき)がマルタ島への帰還途中にオーストリア=ハンガリー帝国海軍潜水艦「U-27」の魚雷攻撃を受け、大破、上原太一駆逐艦長以下59名が戦死しています。
こうした佐世保鎮守府所属艦船の活躍は、イギリス国王からも勲章を贈られ、日本国内でも懸賞しようという気運が盛り上がったのです。
こうして寄付が集まって建設されたのが佐世保鎮守府凱旋記念館で、凱旋とは第一次世界大戦からの帰還をさしているのです。

地中海での活躍は、ヨーロッパ各国からの称賛を受け、大戦後の国際的な地位向上にもつながっています。

旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)
名称 旧佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)/きゅうかいぐんさせぼちんじゅふがいせんきねんかん(しみんぶんかほーる)
所在地 長崎県佐世保市平瀬町2
関連HP 佐世保市公式ホームページ
電車・バスで 松浦鉄道佐世保中央駅から徒歩11分
ドライブで 西九州自動車道佐世保中央ICからすぐ
問い合わせ 佐世保市民文化ホール TEL:0956-25-8192
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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