ひめゆり学徒散華の跡
沖縄県糸満市束里、沖縄戦跡国定公園に指定される沖縄本島最南端・荒崎の海岸部にあるのが、ひめゆり学徒散華の跡(ひめゆりがくとさんげのあと)。島民をも巻き込んだ沖縄戦で、南へ南へと逃げた日本軍と住民ですが、降り注ぐ弾雨のなか…
沖縄県糸満市束里、沖縄戦跡国定公園に指定される沖縄本島最南端・荒崎の海岸部にあるのが、ひめゆり学徒散華の跡(ひめゆりがくとさんげのあと)。島民をも巻き込んだ沖縄戦で、南へ南へと逃げた日本軍と住民ですが、降り注ぐ弾雨のなか…
沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)砂辺、かつて景勝地として知られ、沖縄戦の艦砲射撃などで荒廃した地を復元した砂辺馬場公園(すなべばばこうえん)の一角に立つのが、米軍上陸地モニュメント。昭和20年4月1日、1500隻近い…
沖縄本島南部の南城市玉城糸数にある鍾乳洞(自然洞窟=ガマ)が、糸数アブチラガマ。全⻑270mの鍾乳洞で、沖縄戦では糸数集落の避難壕でしたが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦争が激化し、戦場が南下するに及んで病院壕と…
沖縄県島尻郡南風原町、大名(おおな)地区の首里に向かう旧街道沿い、ヒージャーカービラと呼ばれる急坂にあるのが、大名ヒージャーガー。旅人ものどを潤した共同井戸で、漢文でヒージャーガーのできた由来を記す石碑が立ち、石碑と井戸…
長野県長野市松代町、松代藩真田家の家臣で、150石の禄を受けていた横山家の住居が、旧横田家住宅。1000坪の敷地には、寄棟造りで茅葺きの主屋や、表門、隠居屋、土蔵のほか、庭園や菜園などもほぼ完全なかたちで残っており、主屋…
沖縄県南城市、長大な鍾乳洞・玉泉洞を中心に、沖縄の自然と文化を満喫できるテーマパークが、おきなわワールド。琉球古民家を移築した「琉球王国城下町」には国の登録有形文化財に指定される5棟がありますが、そのうちの1棟、紅型工房…
福岡県福岡市東区を流れる多々良川(名島川)に架かる国道3号の道路橋が、名島橋(なじまばし)。昭和5年3月に逓信省航空局が設置した名島水上飛行場(正式名称は福岡飛行場=水上飛行機専用の飛行場)への導線として昭和8年3月に架…
東京都渋谷区代々木5丁目、代々木八幡宮境内にあるのが、代々木八幡遺跡。昭和25年の発掘調査で、多数の遺物とともに住居跡とその内部の柱跡が出土、竪穴式住居が復元されています。フェンス越しとなりますが復元された古代の住居を見…
福岡県小郡市津古、西鉄天神大牟田線津古駅南西、みくに野団地中央に古墳公園として保存される古墳が、津古1号墳(つこいちごうこふん)。前方後円墳2基、方墳1基からなる津古古墳群を代表する古墳で、4世紀前半に築造された全長42…
福岡県小郡市、小郡市役所の北、西鉄天神大牟田線沿いにあるのが、小郡官衛遺跡(おごおりかんがいせき)。7世紀後半に創建された筑後国御原郡(ちくごのくにみはらぐん)の官衛(かんが=律令時代の郡役所)の跡。昭和42年に発見され…
東京都文京区本駒込3丁目(駒込病院敷地内)、縄文時代の遺跡(貝塚)の上に江戸時代の遺構が重なるのが、動坂遺跡(どうざかいせき)。昭和49年、都立駒込病院の外溝工事中に貝塚が発見され、発掘調査の結果、住居跡と土器が出土して…
大分県宇佐市院内町大門にある龍岩寺の奥の院が、龍岩寺奥院礼堂(りゅうがんじおくいんらいどう)。大きな岩窟に、投げ込まれたかのような懸造(かけづく)りの小さな礼堂で、国の重要文化財に指定されています。天平18年(746年)…
岩手県紫波郡紫波町船久保、岩手県道25号(紫波江繫線)沿いにある奥行176mの鍾乳洞が、船久保洞窟。洞内には美しい鍾乳石、石筍が下がるほか、縄文人が暮らした住居跡の50平方メートルのホールからは、縄文時代中期〜晩期の土器…
栃木県宇都宮市本丸町、宇都宮城の本丸の西半分を防災公園とした宇都宮城址公園の南西部に復元されたのが、宇都宮城・富士見櫓(うつのみやじょうふじみやぐら)。平成19年に本丸御殿などが存在していた江戸時代中頃の姿に復元されたも…
栃木県宇都宮市本丸町、宇都宮城の本丸の西半分を防災公園とした宇都宮城址公園の北西部に復元されたのが、宇都宮城・清明台(うつのみやじょうせいめいだい)。元和5年(1619年)に城主となった本多正純(ほんだまさずみ)が、事実…
岐阜県郡上市八幡町、長良川の支流・安久田川・岐阜県道328号(安久田吉野線)沿い、大滝鍾乳洞近くにあるのが、縄文鍾乳洞。東西100m,南北55m,高低差55mの範囲に、総延長799m、7層にわたって形成される多層迷路型の…
愛知県豊橋市嵩山町にある鍾乳洞が、嵩山蛇穴(すせのじゃあな)。縄文時代早期の洞窟住居跡だったと推測され、国の史跡になっています。豊橋市の背後、浜名湖との境(愛知・静岡県境)の湖西連峰(弓張山地)・石巻山一帯は石灰岩中心の…
群馬県安中市簗瀬にある国の史跡に指定される前方後円墳が、簗瀬二子塚古墳(やなせふたごづかこふん)。墳丘長80m、古墳時代後期の6世紀初頭の築造で、同時期としては毛野国(けぬのくに)最大級の古墳。一帯は史跡として整備され、…