米軍上陸地モニュメント

米軍上陸地モニュメント

沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)砂辺、かつて景勝地として知られ、沖縄戦の艦砲射撃などで荒廃した地を復元した砂辺馬場公園(すなべばばこうえん)の一角に立つのが、米軍上陸地モニュメント。昭和20年4月1日、1500隻近い艦船と延べ54万人の兵員をもって沖縄本島の北谷周辺に上陸しました。

アメリカ軍が沖縄本島で最初に上陸した地

米軍上陸地モニュメント
戦艦「アイダホ」 (USS Idaho, BB-42)から沖縄本島への艦砲射撃

アメリカ軍は、昭和20年3月25日、海峡を埋め尽くすほどの艦隊からの艦砲射撃を開始。
3月26日8:04、A.D.ブルース少将の率いる米第77歩兵師団が、慶良間諸島・阿嘉島に上陸(沖縄戦における最初のアメリカ軍上陸)、8:25に慶留間島、9:00に座間味島、13:41に屋嘉比島に上陸。

日本軍は、アメリカ軍を背後から奇襲するため、慶良間諸島に300艇のマルレ(海上特攻艇)を配備し、特攻作戦で抵抗を続けていましたが、補給基地として慶良間諸島が重要なことから、圧倒的な軍事力で制圧しています(住民は山間の壕に逃げ込み、日本軍は切り込み作戦などを敢行しますが、多大な犠牲が生まれています/住民も座間味島では234人、慶留間島では53人、屋嘉比島では2家族が「集団自決」で死亡、阿嘉島でも終戦後の8月23日にようやく投降しています)。

沖縄本島上陸前の1週間で、アメリカ軍は豊富な物量を背景に、沖縄本島に4万発の砲弾を撃ち込み、1600機の艦載機で爆撃・機銃掃射を加え、景勝地だった北谷の海岸部などの地形が変わるほどになったのです。
海岸部などへの徹底的な艦砲射撃の後、4月1日9:00頃から一斉に嘉手納海岸への上陸を開始(アイスバーグ作戦)。

嘉手納海岸の守備兵力は、現地召集者と後方勤務者で編成された特設第1聯隊と独立歩兵第12大隊基幹の賀谷支隊のみだったため、ほとんど抵抗もなく上陸しています。
6万人の将兵と砲兵を上陸させ、飛行場を占拠し、その日の夕方までに北・中飛行場を整備し、アメリカ軍機が離発着できるようになったのです。
さらに瑞慶覧(ずけらん)地区の住民は、強制的に転居を迫られ、38.2haの面積にキャンプ瑞慶覧が配置され、ハンビー飛行場(Hamby Airfield)が開場しています(現在のアメリカンビレッジ)。

沖縄戦によって亡くなったは、沖縄の住民9万4000人(沖縄では住民を巻き込んだ激しい戦闘が展開)、沖縄出身者も含む日本軍9万4136人、アメリカ軍1万2520人。
沖縄戦には陸海軍計1900機の特攻機が投入され、多くの若き命が特攻作戦で失われています。

終戦は8月15日ですが、沖縄で日本軍が降伏文書にサインしたのは9月7日のこと(日本軍司令官・牛島満中将は摩文仁岳中腹の司令部壕内で6月23日に自決していますが、その際に「最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と命じたため、組織的な戦闘終了後も、投降することなく、住民を巻き込んでの戦闘が続いたのです)。

アメリカ的な風景が展開する北谷の海岸ですが、こうした悲惨な沖縄戦の歴史を今に伝えるモニュメントが、米軍上陸地モニュメントです。

米軍上陸地モニュメント
昭和20年4月1日のアメリカ軍上陸作戦
米軍上陸地モニュメント
名称 米軍上陸地モニュメント/べいぐんじょうりくちもにゅめんと
所在地 沖縄県中頭郡北谷町砂辺69
関連HP 北谷町観光協会公式ホームページ
ドライブで 沖縄自動車道沖縄南ICから約5.5km
問い合わせ 北谷町観光協会 TEL:098-926-5678/FAX:098-926-5679
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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