田代太田古墳
佐賀県鳥栖市田代本町にある直径42m、高さ6mほどの円墳が、田代太田古墳。6世紀後半(古墳時代後期)の築造ですが、熊本県などに多い装飾古墳。壁には赤、黒、緑の顔料三色を使って、幾何学模様と図像が描かれ、連続三角文や人・馬…
佐賀県鳥栖市田代本町にある直径42m、高さ6mほどの円墳が、田代太田古墳。6世紀後半(古墳時代後期)の築造ですが、熊本県などに多い装飾古墳。壁には赤、黒、緑の顔料三色を使って、幾何学模様と図像が描かれ、連続三角文や人・馬…
佐賀県唐津市、唐津湾・浜崎海岸へと流れ出る玉島川の河口近く、北岸の丘陵に築かれた古墳が、谷口古墳。墳丘長77mの前方後円墳で、国の史跡。4世紀末(古墳時代中期初頭)に築かれ、朝鮮半島から横穴式石室(大陸系の墓制)が伝わっ…
島根県雲南市加茂町にある神原神社(かんばらじんじゃ)境内にある古墳が、神原神社古墳。一辺30m~35m、高さ5mほどの方墳だったと推測されていますが、昭和47年、卑弥呼が魏に使者を派遣した「景初三年」(239年)の銘を有…
東京都八王子市中野山王3丁目にある公園が、中田遺跡公園。都営八王子中野町アパートなどに囲まれた公園ですが、一帯は、八王子市の史跡に指定される中田遺跡(縄文時代〜平安時代)。昭和41年、都営八王子中野町アパート造成に伴って…
平野部にある山、丘に築かれた城が平山城。織田信長が築いた安土城が最初とされ、姫路城(兵庫県姫路市)、津山城(岡山県津山市)、松山城(愛媛県松山市)が日本三大平山城と称されていますが、和歌山城(和歌山県和歌山市)、姫路城、…
海を天然の要害として掘りに取り入れ、物資の輸送に舟運を利用したのが水城。水軍や藩主を乗せた御座船も活用できる利点がありました。日本三大水城に数えられるのは、高松城(香川県高松市)、今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中…
古代から中世に、険阻な山を利用して山上に築かれたのが山城。居住空間としては不便なため、山麓に居館が置かれたりしました。日本三大山城に数えられるのは、岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市…
兵庫県丹波市春日町の城山(標高356.8m)の山上にある山城が、黒井城(くろいじょう)。山麓は標高100mほどなので、比高250mという難攻不落の山城で、山全体が要塞のように築かれています。ハイキングの装備で入山しないと…
静岡県浜松市天竜区水窪町にある中世の山城が、高根城(たかねじょう)。遠州(静岡県西部)と信州(長野県)との信遠国境に近い久頭合の山頂、標高420mに築かれた山城で、秋葉街道沿いの要衝です。戦国時代には武田信玄の遠江侵攻の…
静岡県沼津市根古屋、すぐ横を東海道新幹線が駆け抜ける愛鷹山の山裾にあるのが、興国寺城(こうこくじじょう)。愛鷹山から派生する支尾根の篠山を利用して築かれた中世の城で、北条早雲(伊勢新九郎盛時)旗揚げの城。隠れた名城ですが…
東京都渋谷区猿楽町、東急東横線代官山駅近く、代官山ヒルサイドテラスの敷地内にある古墳が猿楽塚(さるがくづか)。北塚と南塚の2基の円墳あり、直径20m、高さ5mと大型の北塚が猿楽塚で猿楽町という町名の由来にもなった塚。渋谷…
戦国時代に織田信長が一揆軍に手を焼き、江戸時代初期には徳川幕府が大坂城へ睨みを効かせた三重県(伊勢・伊賀)。日本100名城に選定の伊賀上野城、松坂城、続日本100名城の津城、多気北畠氏城館、田丸城、赤木城が三重県六大名城…
肥沃な濃尾平野の扇の要となる美濃国(岐阜県南部)は、斎藤道三、織田信長の覇権争いの地。信長が天下布武を掲げた岐阜城、日本三大山城の岩村城が日本100名城。続日本100名城選定の郡上八幡城、苗木城、美濃金山城、大垣城の計6…
静岡県掛川市、御前崎から西に続く海岸線の奥、かつての海岸段丘の上に築かれた城が、横須賀城。高天神城(たかてんじんじょう)が高天神城の戦いで、武田勝頼に奪われた後、徳川家康が城攻めの拠点として築いたのが、横須賀城で、城跡は…
静岡県掛川市の高天神城を主戦場に、遠州進出し、上洛を狙う武田信玄、武田勝頼と徳川家康(その背後に織田信長)との間での二度に渡る激戦が、高天神城の戦い。高天神城を攻略するために、武田勝頼は諏訪原城、徳川家康が横須賀城を築く…
岐阜県可児市(かにし)、標高277mの古城山の山頂に築かれた中世の山城跡が、美濃金山城(みのかねやまじょう)。続日本100名城に選定されるほか、美濃金山城跡として国の史跡に指定。天文6年(1537年)、尾張侵攻を目論む斎…
地元で三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の出身県でもある愛知県。日本100名城選定の名古屋城、岡崎城、長篠城、犬山城(国宝天守)と、続日本100名城選定の小牧山城、吉田城、そしてちょっぴり無名の古宮城が愛知県七大名城…
東京都八王子市椚田町、京王線めじろ台駅の南、縄文時代中期の典型的な集落遺跡の椚田遺跡(くぬぎたいせき)を公園として整備したものが、椚田遺跡公園。遺跡の6分の1のエリアで、繩文時代中期中葉の竪穴住居跡45基が発見され、全体…