太平洋セメント埼玉工場専用線廃線跡(ポッポ道)
埼玉県日高市、JR八高線・川越線の高麗川駅(こまがわえき)から太平洋セメント埼玉工場へと伸びていた専用線(引き込み線)の跡が、太平洋セメント埼玉工場専用線廃線跡。現在は遊歩道として整備され、「ポッポ道」との愛称が付けられ…
埼玉県日高市、JR八高線・川越線の高麗川駅(こまがわえき)から太平洋セメント埼玉工場へと伸びていた専用線(引き込み線)の跡が、太平洋セメント埼玉工場専用線廃線跡。現在は遊歩道として整備され、「ポッポ道」との愛称が付けられ…
埼玉県深谷市にある平城の跡が、深谷城。城跡一帯は深谷城址公園として整備されています。康正2年(1456年)、深谷上杉氏の上杉房憲(うえすぎのりふさ)が古河公方の侵攻に備えて築城。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原…
埼玉県熊谷市の荒川右岸にある中世の館跡に建てられた江戸時代中期の民家が、平山家住宅。関東地方でも有数の農家住宅として、国の重要文化財に指定。平山家は、旧樋口村で名主を務めた旧家で、屋敷の周囲には、中世の居館風に堀や土塁が…
愛知県豊明市阿野町にある東海道の一里塚が、阿野一里塚(あのいちりづか)。旧東海道に面して道の両側に塚が残る貴重な一里塚で、国の史跡に指定されています。池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)と鳴海宿(なるみしゅく)の間、江戸・日本橋か…
埼玉県入間市を流れる入間川に架る武蔵野鉄道の遺構が、旧入間川橋梁。大正4年、武蔵野鉄道(西武池袋線の前身)の池袋〜飯能間の開業に合わせて架橋した上路プレートガーダー橋で、昭和44年に下流側に線路を移して新橋が架けられたた…
大分県杵築市、杵築城の西の高台に位置する、南台武家屋敷跡。杵築藩の上級武士が暮らした武家屋敷街で、杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区にも選定。海蝕崖で囲まれた南北の台地は武家地、台地を囲む低地は町人地という「サンドイッ…
大分県杵築市、城下町・杵築の家老などの邸が並んでいた北台武家屋敷にある杵築藩の藩校「学習館」の跡が、北台武家屋敷・藩校学習館跡。藩政改革を推進した、杵築藩7代藩主・松平親賢(まつだいらちかかた)が、天明8年(1788年)…
愛知県岡崎市大平町にある東海道の一里塚が、大平一里塚(おおひらいちりづか)。江戸・日本橋から数えて80里目にあたる一里塚で、三河国(現在の愛知県東部)では10番目にあたる一里塚です。家康の家臣で、当地を領有した三河三奉行…
三重県亀山市野村町にある東海道の一里塚が、野村一里塚。三重県内にあった12の一里塚のなかで唯一現存する一里塚で、国の史跡。江戸・日本橋から106里12町、京三条大橋から17里32町で、105里目の一里塚として築かれていま…
静岡県三島市、旧東海道の箱根越え(箱根八里)の三島側入口(箱根西街道)、国道1号沿いにあるのが、錦田一里塚。江戸・日本橋から数えて28番目の一里塚で、街道(国道1号)の両側に一対で現存する貴重な塚。塚の上には榎(えのき)…
大分県大分市、滝尾中学校グランド北側の岩壁にある、大小84基の横穴墓群が、滝尾百穴横穴古墳群(たきおひゃっけつよこあなこふんぐん)。火山層の崖に、上下3段になって横穴墓が築かれ、古墳時代後期後半(6世紀)に造られた、集団…
大分県速見郡日出町豊岡にあるフランシスコ・ザビエルが府内の大友宗麟と会見する途上に歩いた道といわれるのが、ザビエルの道。豊前と豊後を隔てていた峠越えの場所が、鹿鳴越峠(かなごえとうげ)で、ザビエルの道と呼ばれるのは、宇佐…
大分県大分市、丹生川左岸、丹生台地の東端に位置する墳丘長116mの前方後円墳が、亀塚古墳。4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定される前方後円墳で、大分県で小熊山古墳(墳丘長116.5m)に次ぐ大きさを誇り、国の史跡にも指定。…
神奈川県横浜市都筑区、港北ニュータウンにある大塚・歳勝土遺跡公園内にある施設が都筑民家園。弥生時代中期の環濠集落と方形周溝墓群を保存した公園ですが、公園の一画に都筑民家園が築かれ、都筑郡牛久保村(現・都筑区牛久保町)にあ…
神奈川県横浜市都筑区、港北ニュータウンにある弥生時代中期の大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき/国の史跡)一帯を公園として整備したのが大塚・歳勝土遺跡公園。大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落、歳勝土遺跡は、方形周溝…
静岡県伊豆の国市北江間にある7世紀〜8世紀頃の横穴墓群が、北江間横穴群 (きたえまよこあなぐん)。海底にたまった火山灰の地層に掘られた遺跡で、国の史跡、そして伊豆半島ジオパークのジオサイトになっています。柔らか…
神奈川県秦野市にある桜土手古墳群を公園化したのが、桜土手古墳公園。秦野市を流れる水無川右岸の東西500m、南北200mに円墳35基が確認され、そのうち12基が現存。公有地にある現存する6基を中心に桜土手古墳公園として整備…
福岡県糸島市にある弥生時代後期の伊都国(いとこく)国王の墳墓ともいわれる遺跡が、平原遺跡(ひらばるいせき)で、平原歴史公園として公開されています。『魏志倭人伝』に記載の伊都国は、末廬国(まつろこく)から陸を東南に500里…