犀ヶ崖古戦場
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)、徳川家康は三方ヶ原の戦いから命からがら浜松城へと逃げ帰ります。城内にあった松の木陰で休み、鎧を脱いで松に掛けたことから鎧掛け松と呼ばれています。
三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
熊野信仰盛んな1160(永暦元)年、後白河上皇が平清盛・重盛に命じて京に創建された神社が新熊野神社(いまくまのじんじゃ)。退位後に院政を敷いた際に、住まいとしたのが現在の京都市東山区に建つ法住寺周辺(法住寺殿)。その鎮守…
朝鮮侵略を目的に、豊臣秀吉が2度の出兵を行なった、文禄・慶長の役(朝鮮では「壬辰・丁酉の倭乱」)。慶長の役の際、軍功の証として慣例である首級(しるし)の代わりに、敵兵の耳や鼻などを切り落とす「鼻切り令」が出されました。そ…
1586(天正14)年、豊臣秀吉により京都・東山に創建された天台宗の寺、方広寺。豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立を志して造営したもの。1595(文禄4)年、大仏殿が完成し高さ6丈(18m)の廬舎那仏(るしゃなぶつ…
京都の東山にある豊国神社(とよくにじんじゃ)。「ほうこく」とも「とよくに」とも呼ばれ、祭神は豊臣秀吉。京は秀吉が大名として統治した場所。秀吉は死後、遺言により東山阿弥陀ヶ峰に葬られ、方広寺の鎮守社である豊國社に祀られまし…
大正12年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、田んぼの中から忽然と中世の相模川に架かっていた橋の橋杭が出現。当時の歴史学者・沼田頼輔(ぬまたよりすけ)は、鎌倉時代の1198(建久9)年、源頼朝の重臣・稲毛重成が…
京都市左京区一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺が金福寺(こんぷくじ)。864(貞観6)年、慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建下という名刹。天台宗の寺でしたが、その後廃れ、江戸中期に鉄舟和尚が再興しています。俳人、松尾芭…
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録される東寺。平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜された名刹です。その東寺で、天皇を迎えるための迎賓館が小子房(しょうしぼう)。贅を尽く…
1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉は、長崎・西坂で26人のカトリック信者を磔の刑に処するように命じます。後にカトリック教会によって26人は聖人の列に加えられたため「二十六聖人の殉教」と称され、「日本二十…
一般には三十三間堂の名で知られていますが、正式には蓮華王院(れんげおういん)で、天台宗の古刹。妙法院に属する堂で、妙法院の境外仏堂。1164(長寛2)年に後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿の一角に平清盛に命じて創建した…
豊川稲荷の名前で知られていますが、正式名称は妙厳寺(みょうごんじ)という曹洞宗(禅宗)の寺。豊川稲荷は、1441(嘉吉元)年に東海義易(とうかいぎえき)禅師が妙厳寺を建立した際に、鎮守として豊川荼枳尼真天(とよかわだきに…
7月の『津島天王祭』で有名で、全国に3000社ある天王社の総本社・津島神社の横にある公園。大正9年に佐屋川の支流・天王川の名残りの池を中心に開設された公園です。舟運が盛んだった時代には津島湊(つしまみなと=川湊)として尾…
東海道で唯一現存する旅籠(はたご)「大橋屋」(街道時代の屋号は「伊右エ門鯉屋」)が残るのが赤坂宿。大火後の1733年(享保18年)時点で赤坂宿には83軒の旅籠がありましたが、大橋屋は大旅籠に属する部類。間口23間、奥行き…
東海道御油宿の羽川のたもとに位置する「御油の松並木資料館」は、御油宿、赤坂宿の歴史や御油の松並木について紹介、解説する歴史資料館。規模は大きくありませんが地元に残る貴重な資料など100点余が展示されています。
『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さん喜多さんがキツネに化かされたという松並木が愛知県豊川市御油町にある御油の松並木。旧東海道・御油宿から赤坂宿の間は600mにわたって松の大木が立ち並んでいます。旧東海道の中で唯一、国の天然…
吉良上野介や、吉良の仁吉で有名な西尾市吉良町にある古刹、金蓮寺(こんれんじ)。創建は定かでありませんが、1340(暦応3)年、足利尊氏が現在の場所に寺を移し、青蓮山金蓮寺とし、江戸時代には吉良氏の帰依で寛政年間(1789…