グワショウ坊古墳
大阪府堺市堺区、大仙公園内にある円墳が、グワショウ坊古墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳で、直径61mという規模は、円墳としては大安寺山古墳に次ぐ大きさ(国内最大級の円墳)。残念ながら昭和50年代の公園造成時には、墳丘上部は…
大阪府堺市堺区、大仙公園内にある円墳が、グワショウ坊古墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳で、直径61mという規模は、円墳としては大安寺山古墳に次ぐ大きさ(国内最大級の円墳)。残念ながら昭和50年代の公園造成時には、墳丘上部は…
大阪府堺市堺区、大仙公園の南、いたすけ古墳の北西、大阪府立堺支援学校敷地内にある帆立貝形古墳が、銭塚古墳(ぜにづかこふん)。墳丘は後円部2段目上方と前方部が削平され、扁平な円墳のような形状です。世界文化遺産「百舌鳥・古市…
大阪府堺市堺区、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)・外濠の東南角に築かれた5世紀中頃の帆立貝形古墳が、収塚古墳(おさめづかこふん)。百舌鳥古墳群を構成する古墳のひとつで、世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産で、大仙陵古墳の…
大阪府堺市堺区、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の外濠東側にある円墳が、塚廻古墳(つかまわりこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、大仙陵古墳の陪冢(ばいちょう)と推測されています。現在は堺市が保有し、国の史跡に。世界文化遺産「百舌鳥・…
大阪府堺市、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の後円部(北部)外側の第2堤(中堤)上から、外濠に張り出すように築かれている円墳が、大安寺山古墳(だいあんじやまこふん)。周濠の堤の上に古墳が築かれる例は少なく、大安寺山古墳と茶山古墳…
大阪府堺市、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の後円部(北部)外側の第2堤(中堤)上から、外濠に張り出すように築かれている円墳が、茶山古墳(ちゃやまこふん)。周濠の堤の上に古墳が築かれる例は少なく、茶山古墳と大安寺山古墳以外にはあ…
大阪府堺市堺区、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の外濠の南西側に築かれた方墳が、銅亀山古墳(どうがめやまこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、大仙陵古墳の陪冢(ばいちょう)とされ、宮内庁が「仁徳天皇陵に号飛地」として管理。世界文化遺産…
大阪府堺市堺区、大仙公園の西北の隅にある5世紀後半築造の円墳が、狐山古墳(きつねやまこふん)。百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)の1基で、宮内庁治定の大仙陵古墳の陪冢。世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産からは外れて…
大阪府堺市堺区、日本最大の古墳である大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の後円部西、外濠から100mほど離れた場所に築かれた帆立貝形古墳(現存する墳丘長33m)が、菰山塚古墳(こもやまづかこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、世界文化遺産…
大阪府堺市堺区、大仙公園の西端にある円墳(復元)が、七観山古墳(しちかんやまこふん)。百舌鳥古墳群の1基で、上石津ミサンザイ古墳の後円部周濠の北側に位置するため、その陪冢(ばいちょう)とされています。昭和27年に土取りに…
大阪府堺市堺区、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の周濠(外濠)の北東側、外濠に寄り添うように築かれた古墳が、源右衛門山古墳(げんえもんやまこふん)。現状で直径34mの円墳で、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪冢(ばいちょう)と推測され…
大阪府堺市堺区の大仙公園内にある5世紀中頃(古墳時代中期)築造の帆立貝形古墳が、竜佐山古墳(たつさやまこふん)。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪塚(ばいちょう=親族、臣下を埋葬した古墳)で、百舌鳥古墳群を構成。世界文化遺産「…
大阪府堺市堺区の大仙公園内にある5世紀前半(古墳時代中期)築造の帆立貝形古墳が、孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の陪塚(ばいちょう=親族、臣下を埋葬した古墳)とされ、百舌鳥古墳群を構成する古…
熊本県球磨郡錦町、くま川鉄道が球磨川を渡る球磨川第四橋梁近くの阿蘇溶結凝灰岩の崖に掘られた横穴墓群が、京ガ峰横穴群(きょうがみねよこあなぐん)。熊本県を中心に数多い装飾古墳のひとつで、1号墓の入口周囲には、靭(ゆぎ=矢を…
熊本県玉名市にある6世紀末〜7世紀前半に築造された円墳が、永安寺東古墳(えいあんじひがしこふん)。菊池川右岸の玉名平野をのぞむ丘陵の先端に2基の円墳が築かれ、隣接して永安寺西古墳があります。永安寺東古墳は装飾古墳で、石室…
石川県加賀市勅使町法皇山にある横穴墓が、法皇山横穴古墳(ほうおうざんよこあなこふん)。法皇山塊の凝灰岩を掘削して築かれた6世紀後半〜7世紀末(古墳時代末〜飛鳥時代)の横穴墓で、79基が現存。未開口を含めると300基ほどと…
ヤマト王権の大王墓(だいおうぼ)とされる、あるいはその可能性のある古墳は、奈良県と大阪府に22基。最大の大仙陵古墳は、宮内庁が仁徳天皇の陵に治定していますが、被葬者は今も謎。22基の大王墓を年代順に並べてみると、時代的な…
奈良県高市郡明日香村平田にある古墳が、平田梅山古墳。墳丘長140mという前方後円墳で、古墳時代後期の築造と推測されています。同時代の古墳としては巨大なため、ヤマト王権最終期の大王墓と推測され、宮内庁は檜隈坂合陵(ひのくま…