ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)
平成元年に福山城天守(福山城博物館)の西側(三の丸西部)に開館した広島県立の博物館。瀬戸内の民衆の歴史と文化をテーマとし、芦田川の川底に埋もれた、わが国を代表する中世の集落跡「草戸千軒町遺跡」の発掘調査から出土した遺物や…
平成元年に福山城天守(福山城博物館)の西側(三の丸西部)に開館した広島県立の博物館。瀬戸内の民衆の歴史と文化をテーマとし、芦田川の川底に埋もれた、わが国を代表する中世の集落跡「草戸千軒町遺跡」の発掘調査から出土した遺物や…
福山城は、徳川幕府の西国鎮護の拠点として、譜代大名の水野勝成(みずのかつなり=徳川家康のいとこ)に命じて元和5年(1619年)に福山藩10万石の初代藩主として、築いた城。慶長20年(1615年)の一国一城令の後で築城され…
福山城の本丸東側、月見櫓の北側に再建されているのが鏡櫓。明治維新の廃城令で破却され、昭和48年に福山市名誉市民・村上銀一(ハワイで成功した日系移民)らの寄付により、コンクリート造りで再建された復興櫓。公式には「外観復元が…
福山城の本丸南側に建つ美しい櫓。伏見櫓同様、徳川時代の伏見城から移築された櫓と伝承されますが、第2次世界大戦の戦火で焼失し、現在の櫓は昭和41年にコンクリートで造られた復興櫓。南側正面にある石落しの有無(復興櫓には1階南…
福山城本丸に現存する三層三階の隅櫓。元和8年(1622年)、水野勝成による福山城築城に際して、2代将軍・徳川秀忠の命により伏見城・松の丸東櫓から移築した櫓のため、伏見櫓の名があります。今も往時と変わらぬ姿を留めています。…
全国に数ある城郭のなかでもっとも新幹線停車駅に近いのが広島県福山市の福山城。山陽新幹線・福山駅北口に出るとすぐに福山城公園の入口で、坂道を上れば筋鉄御門(すじがねごもん)。福山城本丸の正門で福山城築城に際して、伏見櫓と同…
築城した水野勝成が徳川家康の従兄弟(いとこ)ということで福山城には家康再建の伏見城内から多くの建物が移築されています。御湯殿も、本丸御殿(伏見城表居間)とともに伏見城から移築された建物で、戦前は国宝に指定されていましたが…
築城当時の福山城の絵図面にも描かれている遺構が鐘櫓。城下や近隣諸村に時を告げ、緊急時に武士を召集する太鼓も備えていました。城郭内に鐘櫓(鐘楼)が現存するのはほかには彦根城などにあるだけで非常に稀な例です。往時には鐘が吊ら…
新規の城郭建設、天守の築城が困難になった一国一城令の出た後の元和8年(1622年)に竣工した福山城の天守。明治維新の取り壊しも免れた天守(戦前は国宝)は、昭和20年8月8日の福山大空襲で惜しくも焼失。昭和41年に市制50…
広島城は鯉城(りじょう)とも呼ばれる平城で、慶長4年(1599年)、太田川河口の三角洲に毛利輝元により築城されました。鯉城の名はこの付近が己斐浦(こいのうら)と呼ばれていたことに由来。現在は内堀から先、二の丸、本丸のみ残…
広島城は、天正17年(1589年)、豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元(もうりてるもと)により築城され、天守は昭和6年に国宝に指定され、城郭建築が残されていました。残念ながら原爆投下により全壊し、現在の天守は昭和33年に復…
中村橋之助(現・8代目中村芝翫)が毛利元就(もうりもとなり)を演じたNHK大河ドラマ『毛利元就』(平成9年放送)で注目されるようになった毛利元就の居城となった山城が広島県安芸高田市の郡山城(吉田郡山城)。その山麓に建つの…
安芸高田市にある中世の山城、郡山城(吉田郡山城)の城内にある洞春寺跡にあるのが毛利元就墓所(もうりもとなりぼしょ)。郡山城を整備拡幅し、安芸の国人領主から戦国大名へと躍り出た毛利元就は、元亀2年6月14日(1571年7月…
広島県安芸高田市、かつての吉田荘(よしだのしょう)を見下ろす、標高400mの郡山の山上にある山城の跡が、毛利元就(もうりもとなり)の居城、郡山城跡(こおりやまじょうせき=吉田郡山城)。「毛利氏城跡 郡山城跡」として国の史…
国の名勝に指定される縮景園は、広島藩主・浅野長晟(あさのながあきら)が1620(元和6)年に造園した大名庭園(別邸の庭園)。作庭は茶人としても知られる家老の上田宗箇。中国きっての景勝地として知られる西湖(現・浙江省杭州市…
瀬戸内三原築城450年事業推進協議会(事務局=三原市役所)に所属するゆるキャラ「やっさだるマン」。 三原市公式マスコットキャラクターの「やっさだるマン」が、これからの『ゆるキャラ(R)グランプリ』のダークホース、台風の目…
日本各地のループ橋を訪ねる日本ループ橋総覧。 3回目となる今回は、広島県の音戸の瀬戸です。