「お値打ち」は名古屋弁! 名古屋に伝わるお値打ち文化とは!?
「お値打ち」という言葉は、さも標準語のように使われていますが、もともとは尾張・名古屋を中心に濃尾平野一帯の方言。名古屋弁の「お得だがね」的なニュアンスで、価値があって、コスパがいい、つまりは「お買い得」の意。安くて量があ…
26京都府
「お値打ち」という言葉は、さも標準語のように使われていますが、もともとは尾張・名古屋を中心に濃尾平野一帯の方言。名古屋弁の「お得だがね」的なニュアンスで、価値があって、コスパがいい、つまりは「お買い得」の意。安くて量があ…
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食にこだわる京都人ですが、京都には食材を余す所なく使うという「もったいない精神」が息づいています。この「もったいない精神」が物を大切にし、無駄なく使い切る(始末する)「しまつの文化」を生み出しています。現代のフードロス削…
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京都府京都市東山区、坂本龍馬ファンの巡礼地のひとつである京都霊山護國神社の入口、維新の道に面して建つ歴史博物館が、幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」。幕末の激動で、薩摩藩、長州藩、土佐藩と幕府や新選組との間で数多くのドラ…
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京都府京都市中京区、江戸時代には徳川将軍の宿所・謁見の場、明治維新後は離宮としても使われた二条城。二の丸御殿の横にある二の丸庭園は、寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸時に、小堀遠州らが作事奉行として改修したもので、「…
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京都府京都市中京区、江戸時代には将軍の京滞在時の宿所、明治維新後は皇室の離宮となったのが二条城。外堀沿い、城郭の西側にあるのが西門で、江戸時代には通用門として活用されていました。後水尾天皇の行幸を前にした寛永3年(162…
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徳川将軍の京滞在時の宿所、そして朝廷や諸大名との会見の場となったのが二条城。幕府の威信をかけて築城されていますが、城としての機能を維持するため、米蔵、金蔵、武器庫などの土蔵も多数構築されていました。内堀の西北にある土蔵が…
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徳川将軍の京滞在時の宿所、そして朝廷や諸大名との会見の場となったのが二条城。幕府の威信をかけて築城されていますが、城としての機能を維持するため、米蔵、金蔵、武器庫などの土蔵も多数構築されていました。内堀の西南にある土蔵が…
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二条城・二の丸庭園の西、内堀沿いに北面して建つのが桃山門。南側の桃山門と対を成し、本丸への通路を守備する門のひとつ。この門を通って南下すると本丸の入口、本丸楼門(本丸東櫓門)となります。脇戸付一間門という小振りな切妻造り…
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二条城・二の丸庭園の西、内堀沿いに南面して建つのが桃山門。北側の鳴子門と対を成し、本丸への通路を守備する門のひとつ。この門を通って北上すると本丸の入口、本丸楼門(本丸東櫓門)となります。入母屋造り、本瓦葺きの長屋門は、国…
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京都府京都市中京区、徳川将軍の京滞在時の宿所で、朝廷や諸大名との会見の場となったのが、二条城。本丸への登城ルート途中、本丸を囲む内堀の南側にあるのが、南中仕切門。内堀の西にあった本丸西櫓門(焼失して現存していません)への…
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京都府京都市中京区、徳川将軍の京滞在時の宿所で、朝廷や諸大名との会見の場となったのが、二条城。警備も厳重で門の数も多く、本丸を囲む内堀の北にあるのが、北中仕切門。内堀の西にあった本丸西櫓門(焼失して現存していません)への…
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京都府京都市中京区、二条城の玄関口である東大手門を入ったところにあるのが、番所。二条城は徳川幕府から派遣された二条在番と称される武士たちが宿直し、警護にあたっていましたが、その詰所となるのが番所です。1組50人の在番が2…
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二条城の本丸にあるのが国の重要文化財に指定される本丸御殿ですが、もともと二条城の建築物ではありません。明治時代、二条城は皇室の「二条離宮」となりましたが、明治26年〜明治27年に荒廃した二条城を整備するため、御所の北にあ…
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江戸時代、徳川将軍の京における宿泊施設、そして諸大名や公家との対面所となったのが、二条城の二の丸御殿。入口の車寄から、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間と続き、御三家や高位の公家などとの対面所となった黒書院の先、最奥にあるのが…
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黒書院は、江戸城、二条城などにおける最も日常的な対面の空間。徳川御三家、加賀前田家、越前松平家や老中などとの対面の場となっていました。二の丸御殿入口の車寄から遠侍、式台、大広間、廊下部分の蘇鉄の間を抜けると、黒書院。大広…
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3代将軍家光の時、大御所となった徳川秀忠が大改修したのが現存する二条城の二の丸御殿。入口からいずれも国宝となった6棟が続きますが、遠侍、式台に続くのが大広間です。将軍と大名や公卿衆との公式の対面所で、最後の将軍となった徳…
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大坂(現・大阪)など西国の監視、徳川将軍の京滞在時の宿舎として築城されたのが二条城。将軍の宿所、そして諸大名や天皇からの勅使の接待所となったのが、二の丸御殿です。車寄から内部に入り、遠侍を抜けると式台です。式台の間、老中…
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京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として造営された二条城。将軍の宿泊所として建てられた御殿が、二の丸御殿です。その入口部分の建物が遠侍(とおざむらい)。車寄せがあり、その奥に、一の間、二の間、三の間、芙蓉の間、若松の間な…