冷水岳展望台(冷水岳公園)
北九十九島を隔てて平戸島を望む標高323mの冷水岳(ひやみずだけ/長崎県佐世保市)山頂に位置するのが冷水岳展望台。さらに北にある長串山公園とともに九十九島八景の中では最北部を楽しむ展望スポットになっています。冷水岳の山頂…
北九十九島を隔てて平戸島を望む標高323mの冷水岳(ひやみずだけ/長崎県佐世保市)山頂に位置するのが冷水岳展望台。さらに北にある長串山公園とともに九十九島八景の中では最北部を楽しむ展望スポットになっています。冷水岳の山頂…
五島列島、福江空港のすぐ東、福江島南岸に突き出た、鬼岳(315m)、火ノ岳(314.2m)、城岳(251m)、箕岳(144m)、臼岳(124.9m)からなる鬼岳火山群(福江火山群)の主峰。この鬼岳火山群は、アスピーテと呼…
明治12年、フランスのマルマン神父により仮聖堂が建てられ、明治41年に後任のペルー神父が現在の天主堂を築造したのが五島列島福江島にある堂崎天主堂。イタリアから運ばれた赤煉瓦を使った天主堂は、五島最古の洋風建造物として、昭…
対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸にそびえる烏帽子岳(標高176.3m)の山頂にあるのが烏帽子岳展望所。典型的なリアス式海岸で志摩にも似た多島美を誇る浅茅湾を一望にする展望所となっています。車で展望所まで上るこ…
五島列島・福江島の西瑞、波静かな玉之浦の入江奥に建つ井持浦教会(いもちうらきょうかい)。明治30年、フランス人宣教師、アルベルド・ペルー神父によって建てられた当初の教会はレンガ建築で、五島最初のロマネスク様式が採用された…
明治のお雇い外国人・ブラントンの設計で明治12年に点灯した大瀬埼灯台(現在の灯台は昭和46年の改築)は、「日本の灯台50選」、映画『悪人』のロケ地。美しい夕景は「日本の夕陽100選」にもなっています。640年頃の唐書『挺…
韓国まで50㎞という上対馬町は、日本海を隔てて朝鮮半島を望む国境の町。その名の通り、晴れていれば遠く韓国を眺める展望地が、鰐浦地区の高台にある韓国展望所。韓国の古代建築様式を取り入れた展望台が建っています。標高は71.0…
九州の最西端に位置する五島列島・福江島の大瀬崎。東シナ海の荒波に削られた高さ150m、約20kmにも及ぶ海触崖で、とりわけ断崖突端に建つ白亜の大瀬埼灯台と、東シナ海に沈む夕日は見事。半島先端の大瀬山(249.3m)の山頂…
長崎県対馬市にふたつある運河のうちのひとつ。ひとつは日露戦争の直前に帝国海軍が掘削した万関瀬戸、そしてもう1ヶ所が、江戸時代初めの1672(寛文12)年に開削された大船越瀬戸(おおふなこしせと)です。対馬の西岸と東岸を結…
対馬(長崎県対馬市)にある対馬西部の浅茅湾(あそうわん)と東部の三浦湾(みうらわん)をつなぐ運河。運河上には国道382号の万関橋(現在の橋は3代目)が架橋されています。旧海軍の開削した運河で、建設当初は久須保水道と呼ばれ…
対馬に築かれた宋氏の居城金石城の大名庭園。旧金石城庭園は、かつての厳原中学校の校庭を発掘調査した結果、中島を擁する大規模な泉水が造営されていたことが判明。それを大規模な発掘調査を行なって江戸時代の大名庭園を蘇らせたもので…
戦国時代の初期、1528(享禄元)年に、宗将盛(そうまさもり)が対馬に築いた金石屋形(かねいしのやかた)を前身とする宗氏の居城跡が金石城跡。対馬市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょ…
長崎県対馬市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載の古社が和多都美神社(わたづみじんじゃ)。海神である豊玉彦尊が対馬に宮殿を築いた跡地といわれ、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)…
日本の全島数(周囲が0.1km以上の島)は海上保安庁によれば6852島。「特定有人国境離島地域」として国から指定を受けた国境の島には、食を含めた独自の文化、歴史が育まれています。九州の西、五島列島最大の島、福江島は面積日…
日本の全島数(周囲が0.1km以上の島)は海上保安庁によれば6852島。「特定有人国境離島地域」として国から指定を受けた国境の島には、食を含めた独自の文化、歴史が育まれています。九州の北、玄界灘に浮かぶ対馬(つしま)は、…
長崎・西坂の丘で、豊臣秀吉の命により処刑された26人のキリスト教徒。1862年6月8日、ローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人の列に加えられましたが、昭和37年に列聖100年を記念し日本二十六聖人記念レリーフが建立さ…
1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉は、長崎・西坂で26人のカトリック信者を磔の刑に処するように命じます。後にカトリック教会によって26人は聖人の列に加えられたため「二十六聖人の殉教」と称され、「日本二十…
幕末の1857(安政4)年に、長崎での踏み絵が廃止され、外国人のための聖堂建立が認められました。大浦天主堂は1864(文久3)年にフランス人・フューレ神父とその志を継いだプチジャン神父によって建立され、別名フランス寺とも…