傾山
大分県豊後大野市・佐伯市と宮崎県日之影町の県境に位置する標高1605mの秀峰が、傾山(かたむきやま)。県境稜線を西に行くと祖母山(祖母山/1756.4m)がある祖母傾山系の山で、豊かな自然が残され、祖母山、大崩山(おおく…
大分県豊後大野市・佐伯市と宮崎県日之影町の県境に位置する標高1605mの秀峰が、傾山(かたむきやま)。県境稜線を西に行くと祖母山(祖母山/1756.4m)がある祖母傾山系の山で、豊かな自然が残され、祖母山、大崩山(おおく…
パラボラ(parabola)とは放物線のことで、パラボラアンテナは、放物曲面をしたアンテナの意。パラボラアンテナの利得(gain/ゲイン)は半径の2乗に比例するため、大型のものが最適。空気が澄んだ高所で、しかも雪が少ない…
大分県下で一番古い、豊後竹田の和菓子店「但馬屋老舗」(たじまやろうほ)の創業は文化元年(1804年)。ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝に就任、オーストリア帝国が成立、日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスが誕…
大分県南西部に位置する竹田市(たけたし)は、藩政時代の岡藩の面影を色濃く残す城下町。竹田市城下町交流プラザに併設された案内所で情報収集。高台に建つ広瀬神社、岡神社から城下を俯瞰し、竹田荘公園、殿町武家屋敷通りを散策。歴史…
名瀑、原尻の滝を見晴らす道の駅原尻の滝の食堂「白滝」で数々の郷土料理に遭遇しました。大分県産地元食材にこだわった、料理の歴史や文化、調理法に栄養素を深堀りすると、先人達の叡智が集結しているではありませんか! 味覚で大分を…
大分空港から車で2時間。大分県豊後大野市にある原尻の滝は「東洋のナイアガラ」と呼ばれ、おおいた豊後大野ジオパーク認定で、「大分県百景」。その上、日本の滝百選というのだから、百の二乗で壱万に値するのでしょうか? 百聞は一見…
長野県佐久市前山、蓼科山の大河原峠へと登る蓼科スカイライン途中、標高1580mの地点にあるのが、JAXA美笹深宇宙探査用地上局(じゃくさみささしんうちゅうたんさようちじょうきょく)。口径54mのパラボラアンテナが1基あり…
長野県佐久市、蓼科山の山腹、片貝川沿いの高台にあるのが、JAXA臼田宇宙空間観測所(じゃくさうすだうちゅうくうかんかんそくしょ)。JAXA(宇宙航空研究開発機構)の施設で、直径64mのパラボラアンテナは日本最大。施設外観…
山口県山口市二保中郷のKDDI山口衛星通信センターに併設の展示資料館が、KDDIパラボラ館。敷地には大小20基を数えるパラボラアンテナが林立し、インド洋、大西洋上の通信衛星などを中継し、世界各国との電話、テレビ、船舶や航…
山口県山口市仁保中郷にあるKDDIの国内唯一の国際通信施設が、KDDI山口衛星通信センター。山口衛星地球局と称される日本最大の衛星通信施設で、20基のパラボラアンテナが並び、インテルサット( Intelsat=国際電気通…
山口県防府市車塚町にある墳丘長53mの前方後円墳が、車塚古墳。天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ/車塚妙見神社)の境内にあり、墳丘くびれ部を削平して社殿が建っています。埋葬施設は後円部・前方部に各1基の横穴式石室があ…
2025年1月31日(金)~3月9日(日)⽇没(17:30頃)〜22:00、山口県長門市(ながとし)の長門湯本温泉で、童謡詩人・金子みすゞの詩をテーマにした明かりイベント『音信川うたあかり』(おとずれがわうたあかり)が行…
福岡県福岡市博多区、博多祇園山笠が奉納されることでも有名な博多の総鎮守・櫛田神社で、2025年1月15日(水)~2月16日(日)、名物の「大お多福面」が設置されます。昭和37年から設置が始まった福を呼ぶ「大お多福面」で、…
毎年1月26日頃~2月3日の間、大阪府豊中市刀根山2丁目の市軸稲荷神社(いちじくいなりじんじゃ)で、二ノ鳥居前にお多福門が設置されます。2月3日の『節分祭』に向けて、お多福さんの簪(かんざし)祈願が行なわれ、護摩木や祈祷…
山口県山口市上竪小路、龍福寺(大内氏館跡)の北側に、築山神社と並んで建つのが、八坂神社。応安2年(1369年)、大内氏9代・大内弘世(おおうちひろよ)はが京・祇園感神院 から勧請した祇園社で、もとは大内氏の迎賓…
山口県山口市中尾にある大内氏遺跡の一部として国の史跡に指定されているのが、凌雲寺跡(りょううんじあと)。大内氏14代・大内義興(おおうちよしおき)が了庵桂悟(りょうあんけいご)を開山として、永正4年(1507年)頃に創建…
山口県山口市大殿大路にある曹洞宗の寺が、龍福寺(龍福禅寺)。建永元年(1206年)、弘治3年(1557年)、毛利隆元(もうりたかもと)が大内義隆の菩提寺として再興。一帯は大内氏の居館(大内館)跡で、国の史跡。明治16年に…
山口県山口市大殿大路にある大内氏の居館跡が、大内氏館跡。西の京と称され中世に大内文化を花開かせた大内氏の居館は、大内弘世(おおうちひろよ)が周防(すおう)、長門(ながと)平定後、防長両国の守護となり、正平15年・延文5年…