有馬温泉・茶人太閤像

有馬温泉・茶人太閤像

兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かる太閤橋のたもと、湯けむり広場にあるのが、茶人太閤像。豊臣秀吉は羽柴秀吉時代の三木合戦の頃からたびたび有馬を訪れ、正室のねね(北政所)など伴って湯治に訪れ、天正17年(1590年)には『有馬大茶会』(ありまだいさのえ)を催しています。

有馬温泉で『有馬大茶会』を開いた茶人姿の豊臣秀吉像

有馬温泉・茶人太閤像

豊臣秀吉は湯山御殿(ゆのやまごてん)を建設するため、65軒の家屋を撤去させるなど、かなりの無理難題を押し付けたりもしていますが、有馬温泉の人々は、今も恩人と考えています。

茶人太閤像は、昭和57年、有馬ライオンズクラブ10周年を記念して設置されたもので、彫刻家・新谷英子の作品。
「彫刻のまち神戸に新谷一族あり」といわれ、父・新谷秀夫、兄・新谷琇紀、姉・新谷澤子と4人揃って彫刻家という一家で、須磨浦公園(神戸市須磨区)の『みどりの塔“薫風”』(昭和29年・新谷秀夫制作)は、神戸初のモニュメントとも称され、以降、彫刻の街・神戸を支えてきました。

有馬川の上流側、ねね橋のたもとには、ねねの像が置かれ、互いに見つめ合うという仲睦まじい姿に。
ねねの像は、有馬ライオンズクラブ20周年(平成4年)、25周年(平成9年)を記念して制作されたもので、同じく彫刻家・新谷英子の作品です。

豊臣秀吉は、羽柴秀吉として三木城を攻略した天正8年(1581年)に初めて有馬温泉に入浴し(『有馬郡誌』)、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破った天正11年(1583年)以降、文禄3年(1594年)までの11年間に北政所を伴って9回も湯治に訪れています。
なかでも天正17年(1590年)に千利休や小早川隆景らを招いて行なわれた『有馬大茶会』(ありまだいさのえ)は有名です。
北政所は薬師堂の再建に金子1500百貫、地領100石を寄進しています(『善福寺文書』)。

有馬温泉・茶人太閤像
名称 有馬温泉・茶人太閤像/ありまおんせん・ちゃじんたいこうぞう
所在地 兵庫県神戸市北区有馬町1400地先
電車・バスで 神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩1分
ドライブで 阪神高速道路北神戸線有馬口ICから約1.5km
駐車場 有馬温泉駐車場(有料)を利用
問い合わせ 有馬温泉観光案内所 TEL:078-904-0708
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
有馬温泉・ねねの像

有馬温泉・ねねの像

兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉を流れる有馬川に架かるねね橋のたもとにあるのが、ねねの像。ねねとは、豊臣秀吉の正妻・北政所(きたのまんどころ)のこと。念仏寺は北政所の別邸とも呼ばれ、秀吉とともにたびたび湯治に訪れ、薬師堂の再建なども行なって

 

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