岡倉天心の墓
岡倉天心は、大正2年9月2日、新潟県赤倉温泉の自身の山荘で没(慢性腎炎に尿毒症を併発)。享年50。岡倉天心の墓は、東京・染井霊園にありますが、岡倉天心が戸籍を移すほどに愛した五浦海岸(現・茨城県北茨城市)の岡倉天心旧宅・…
岡倉天心は、大正2年9月2日、新潟県赤倉温泉の自身の山荘で没(慢性腎炎に尿毒症を併発)。享年50。岡倉天心の墓は、東京・染井霊園にありますが、岡倉天心が戸籍を移すほどに愛した五浦海岸(現・茨城県北茨城市)の岡倉天心旧宅・…
平成26年3月に「岡倉天心旧宅・庭園および大五浦・小五浦」として国の登録記念物になった茨城県北茨城市の岡倉天心関連の旧跡。平成25年公開の映画『天心』(主演:竹中直人)でも再注目された岡倉天心は明治31年、東京美術学校校…
茨城県北茨城市大津町五浦(いづら)の太平洋の荒波打ち寄せる五浦海岸。明治36年、茨城県出身の画家飛田周山の案内で五浦海岸を訪れた岡倉天心は、景観の美しさに魅了され、明治38年には自ら設計した邸宅と六角堂を建築しています。…
茨城県ひたちなか市武田は、あまり知られていませんが、実は甲斐武田氏発祥の地。平安時代、源義光(源義家の弟)の三男である源義清(みなもとのよしきよ)が、常陸国那珂郡武田郷を領有して武田氏を名乗ったのが、武田氏の始まり。武田…
茨城県大子町(だいごまち)、久慈川の支流、大生瀬川(おおなませがわ)に懸かる落差15mの滝が月待の滝(姫ヶ滝)。普段は二筋の夫婦滝ですが、水量が増えると子滝が現れ、三筋に流れ落ちる親子滝となります。その形状から古くから安…
茨城県立歴史館(茨城県水戸市)の正門を入ってすぐ、旧水海道小学校本館が移築保存されています。舟運で栄え進取の気性がある水海道(みつかいどう=現・常総市)から移築された、八角形の塔屋と深い軒出しが印象的な木造二階建ての疑洋…
昭和35年3月に初点灯、東日本大震災後の平成24年3月12日に建て替え、再点灯となった関東最北にある白亜の灯台が茨城県北茨城市の五浦岬公園(いずらみさきこうえん)近くに建つ大津岬灯台。塔高は16mですが、高台にあるため海…
奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分尼寺(正式名は法華滅罪之寺)のうち下野国(しもつけのくに=現在の栃木県)に建立されたのが、下野国分尼寺で、その下野国分尼寺…
奈良時代の天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため聖武天皇の詔により、諸国に建立された国分寺(正式名は金光明四天王護国之寺)。国府に近く、水害の憂いなく長久安穏の場で、国華として仰ぎ見るのによい地形ということから…
栃木県栃木市惣社町にある古社が大神神社(おおみわじんじゃ)。惣社町という町名が示すとおり、大神神社は、律令制確立期の奈良時代〜平安時代、下野国の総社だった神社です。都から下野国の国庁に赴任した国司は、この大神神社に祀られ…
古代に毛野国(けのくに)は、後に上毛野国(かみつけぬくに=現在の群馬県)と下毛野国(しもつけぬくに=現在の栃木県)に分国。さらに上野国(こうずけのくに)、下野国(しもつけのくに)と呼称が変化しています。下野国の国府、政庁…
栃木県佐野市、佐野市街地の北にそびえる唐沢山(241m)の山頂の本丸を構え、一帯に曲輪が配された連郭式山城で、「関東一の山城」と称される城が唐沢山城。国の史跡に指定されるほか、「続日本100名城」にも選定されています。ま…
栃木県真岡市にある『延喜式神名帳記載』の古社、大前神社(おおさきじんじゃ)境内に、平成元年12月10日創建されたのが大前恵比寿神社(おおさきえびすじんじゃ)。大前神社の大黒様、そして大前恵比寿神社の恵比寿様、恵比寿、大黒…
栃木県真岡市高田にある真宗高田派の本寺(本山は三重県津市一身田町にある)が専修寺。寺伝によると嘉禄元年(1225年)、浄土真宗の開祖、親鸞(しんらん)が専修念仏の根本道場(如来堂)を建立したのが始まり。戦国時代に兵火によ…
稲田草庵(いなだそうあん=現在の茨城県笠間市の西念寺)を出た親鸞(しんらん)が専修寺を建立するにあたり、嘉禄元年(1225年)、仮住まいをしたと伝えられる伝承の地が栃木県真岡市三谷にある三谷草庵(みやそうあん)。北西2k…
田沼意次ゆかりの町、栃木県佐野市田沼町田沼に鎮座し、天慶5年(942年)、近江三上山の百足退治の伝説で有名な藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が鎌倉・松岡稲荷大明神の分霊を勧請して創建したという古社が一瓶塚稲荷神社(いっぺい…
栃木県真岡市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される古社が、大前神社(おおさきじんじゃ)。福の神「大黒様」として名高い大国主大神、そして「恵比寿様」として知られる事代主大神を祀っています。本殿、幣殿・拝殿は国の…
栃木県の県都、宇都宮市にある宇都宮城は、江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった城で、関東七名城にも数えられています。天正18年(1590年)7月26日、豊臣秀吉は宇都宮城に入城し、伊達政宗など東北や関東の諸将の拝謁を受け、戦後…