富岡橋跡(史跡閻魔堂橋跡)
深川えんま堂に近い、油掘川公園に「とみおかはし」と記されたコンクリートの橋の親柱の一部だけが保存されています。これがかつて永代寺(現・深川不動堂)、富岡八幡宮の北側を流れた十五間川(通称「油堀」)に架かった富岡橋の跡です…
深川えんま堂に近い、油掘川公園に「とみおかはし」と記されたコンクリートの橋の親柱の一部だけが保存されています。これがかつて永代寺(現・深川不動堂)、富岡八幡宮の北側を流れた十五間川(通称「油堀」)に架かった富岡橋の跡です…
江東区を流れる運河・大横川、平久川の合流部に架かる橋。橋長40.5m、幅員17.6mの鋼製トラス橋。昭和5年に関東大震災からの復興で架橋され、昭和57年に改修されています。平成16年、江東区指定都市景観重要建造物に選定。…
深川は仙台堀近くの寺町にある心行寺は、深川七福神の福禄寿を祀る寺。1616(元和2)年に京橋・八丁堀寺町に創建した浄土宗の寺で、1633(寛永10)年に現在地に移りました。境内には縁結びの地蔵様として江戸時代から信仰され…
法乗院(深川えんま堂)は、1629(寛永6)年創業という真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺。えんま堂(ゑんま堂)には日本最大の閻魔(えんま)大王座像が安置され、本堂1階には江戸時代に描かれた『地獄極楽絵』が展示さ…
銀座三越(三越銀座店)の屋上に鎮座する立身出世、開運に御利益(ごりやく)大という地蔵尊。デパートが並ぶ銀座ですが、銀座三越には銀座出世地蔵尊と三井家の守護神である三囲神社、3丁目の松屋銀座には龍光不動尊が「屋敷神」として…
江東区富岡の八幡堀遊歩道にかかる人道橋。八幡堀の八幡とは、富岡八幡宮のこと。富岡八幡宮の東に流れる運河が八幡堀です。現在は埋め立てられ八幡堀遊歩道となっていますが、旧掘割を利用した遊歩道の凹部に架けられたのが八幡橋です。…
総武本線が神田川をまたぐ部分に架けられた鉄道橋。昭和7年、関東大震災からの復興という目的もあって、総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸する際に架けられた橋。「ラーメン橋脚」が使用されていることで有名で、昌平橋交差点を越…
総武本線の架道橋で、秋葉原のシンボル的な存在。総武本線が両国駅から御茶ノ水駅まで延伸された際、松住町交差点(現・昌平橋交差点)に架けられた鉄橋です。松住町交差点は、東京市電(路面電車)の軌道が交差する交差点だったため、支…
中央区日本橋室町のオフィス街に鎮座する古社。社殿は、三井不動産の「日本橋再生計画」のメイン事業である「日本橋室町東地区開発計画」で新築され、隣接地に現代版の鎮守の森として「福徳の森」もつくられています。夜間には「仲通り」…
吉祥寺駅前に「寺町」があるのをご存知でしょうか? 吉祥寺通りと女子大通りがクロスする交差点の名は、ズバリ、四軒寺。4軒の寺が界隈に集結していることから生まれた通称名。そしてその「寺町」が、吉祥寺誕生の歴史を秘めてもいるの…
吉祥寺の地名の由来、そしてそのルーツが現在の水道橋(東京都文京区本郷1丁目)あたりにあったことは、前回お話しました。 今回はその続編で、吉祥寺ナンバーワンのパワースポットを紹介します。
吉祥寺が、何で吉祥寺なのか? どうして吉祥寺という地名が生まれたのか。 ご存知でしょうか。
神田川と聞いて何をイメージするでしょうか?年配の人はフォークの名曲『神田川』(昭和48年9月20日発売/南こうせつとかぐや姫)でしょうか?その源流が井の頭池で、江戸時代には江戸の人の暮らしを支えました。
不動産・住宅サイト SUUMO(スーモ)の調査によると、調査開始以来5年連続トップを獲得していた吉祥寺が、ついに2位に。 吉祥寺を抜き去って1位に浮上したのが恵比寿なんだとか。 まあ、恵比寿には代官山もあるし・・・という…
「昔々、富士山をつくるため、甲州(山梨県甲府盆地)の土を取って土盛りした。そのため甲州は盆地になった」などというダイダラボッチの伝説(巨人伝説)をご存知でしょうか? 実は、このダイダラボッチという巨人の伝説、日本全国に。…
日曜のランチ時には、吉祥寺駅周辺の店は大混雑。 そんな時にお役立ちの店が吉祥寺第一ホテル向かいの「カヤシマ」。
千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院で、深川不動として有名。江戸時代に明王の中でも中心的な存在で、力強い火炎で煩悩を焼き尽くす不動明王を信仰するブームが起こり、とくにその代表格である成田山新勝寺は、あまりの人気で、江戸で…
昭和8年に日本橋に建設された高島屋東京店(現・日本橋高島屋)。平成21年に百貨店建築では初となる国の重要文化財の指定を受けています。ショッピングがてら内部を見学すると、1階と2階に大理石の柱が見事な吹き抜けが、さらに案内…