柴又駅
東京都葛飾区柴又4丁目にある京成電鉄金町線の駅が、柴又駅(しばまたえき)。明治32年12月17日、帝釈人車鉄道(たいしゃくじんじゃてつどう、現・京成金町線)の駅として開業した歴史ある駅で、レトロな下町風情を残した柴又帝釈…
東京都葛飾区柴又4丁目にある京成電鉄金町線の駅が、柴又駅(しばまたえき)。明治32年12月17日、帝釈人車鉄道(たいしゃくじんじゃてつどう、現・京成金町線)の駅として開業した歴史ある駅で、レトロな下町風情を残した柴又帝釈…
東京都足立区東伊興2丁目にある古社が、渕の宮と呼ばれる伊興氷川神社(いこうひかわじんじゃ)。大宮の氷川社から分霊を勧請して創建した神社で、足立区内最古の氷川社。縄文海進後、海が後退していくなかで、低湿地で渕が多くあった地…
東京都足立区東伊興4丁目一帯に、関東大震災後に寺院が移転して誕生した寺町が伊興寺町(いこうてらまち)。その寺町を歩く伊興寺町散策路が整備され、古都の寺町のような雰囲気を醸し出しています。桂昌院の墓がある法受寺のほか、東陽…
東京都足立区綾瀬4丁目、東京メトロ千代田線・JR常磐線綾瀬駅近くに鎮座する古社が、綾瀬稲荷神社。創建は慶長19年(1614年)、五兵衛新田の鎮守社(稲荷社)として創建。明治7年、五兵衛神社に、さらに昭和42年、綾瀬稲荷神…
東京都足立区東伊興4丁目にある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺が、法受寺。正式名は普賢山新幡随院法受寺で、境内には3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・徳川綱吉の生母となった桂昌院の墓があります。もともとは安養寺にあった…
東京都足立区東伊興3丁目にある円墳が、白旗塚古墳(しらはたづかこふん)。周囲は住宅地ですが、円墳と周囲の水堀一帯は白旗塚史跡公園として整備されています。6世紀後半の築造と推測されていますが、学術調査も行なわれていないため…
東京都足立区梅島1丁目にある足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして築かれた1.3haの公園。住宅地の一画に広がる緑地に、赤レンガの陳列館、ヒツジのモニュメント、オーストラリア原産の草花を取り入…
東京都足立区伊興にある古墳時代の集落跡、祭祀遺跡を中心とした複合遺跡が、伊興遺跡(いこういせき)。一帯は伊興遺跡公園として整備され、出土品を展示するガイダンス施設の伊興遺跡公園展示館が併設されています。
東京都足立区伊興にある古墳時代の集落跡、祭祀遺跡を中心とした複合遺跡が、伊興遺跡(いこういせき)。一帯は伊興遺跡公園として整備され、竪穴住居、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が復元されています。併設して伊興遺跡公園展示…
東京都足立区梅島2丁目にある稲荷社が、小右衛門稲荷神社。元和2年(1616年)、岩槻藩士・渡部小右衛門が一帯に小右衛門新田を開拓、その鎮守として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請して創建した神社で、境内には昭和7年築…
東京都豊島区雑司ヶ谷3丁目、鬼子母神堂境内の大黒堂で、土・日曜、祝日と縁日を中心に味わえるのがおせんだんご。鬼子母神に1000人の子供がいたことにあやかり、子宝に恵まれるようにという願いに由来する団子で、羽二重団子・澤野…
東京都荒川区南千住8丁目、隅田川沿いに広がる都立公園が、汐入公園。白鬚西地区市街地再開発事業で整備され、平成18年4月1日に開園した広さ12.9haの公園で、大型複合遊具、芝生の広がる「ふれあい広場」、バーベキュー場など…
東京都荒川区と足立区の間を流れる隅田川に架る橋が、尾竹橋。西新井大師への渡船場として栄えた小竹の渡し(お茶屋の渡し)に由来する橋。初代の橋は昭和9年3月、関東大震災後の帝都復興で架橋された橋で、老朽化のため平成4年に現在…
東京都足立区谷中2丁目、東京メトロ千代田線北綾瀬駅の駅前にある2.8haの公園が、しょうぶ沼公園。四季の花が楽しめる公園がキャッチフレーズですが、藤棚のほか、花壇、滝、5つの菖蒲田があり、ハナショウブ咲く6月がメイン。…
東京都港区虎ノ門3丁目にある区立の科学博物館が、港区立みなと科学館。「都会の真ん中で科学にふれる」がテーマで、令和2年6月7月1日にオープンした体験型の常設展示や最新鋭のプラネタリウムが自慢です。
東京都渋谷区桜丘町、渋谷区文化総合センター大和田内にあるのが、コスモプラネタリウム渋谷。「渋谷駅から徒歩5分、26万5000個の美しい星空に出逢えます」という好アクセス、充実の設備を誇る人気のプラネタリウムで、解説も好評…
東京都板橋区常盤台4丁目、東武東上線上板橋駅近くにある区立の科学館が、板橋区立教育科学館。常設展示は、トリケラトプスの頭骨、エドモントサウルスの足などの化石の展示や、昆虫標本、生きた爬虫類などを展示。人気のプラネタリウム…
東京都中央区京橋3丁目、京橋大根河岸おもてなしの庭、京橋大根河岸通り沿いにあるのが、江戸歌舞伎発祥の地碑。寛永元年(1624年)、猿若勘三郎(初代・中村勘三郎)が中橋南地(現在の日本橋と京橋の中間)に、猿若中村座(猿若座…