上山藩武家屋敷・山田家
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒が山田家。今も個人所有のため、外観のみ見学が可能。庭には八幡堂堰から引いた水を湛えた池があり、往時を偲ばせてく…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒が山田家。今も個人所有のため、外観のみ見学が可能。庭には八幡堂堰から引いた水を湛えた池があり、往時を偲ばせてく…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒で、上山市が所有し内部も公開されているのが三輪家(有料公開施設)。戦後もここで暮らしていたため、生活に便利な様…
山形県上山市、上山城の西側を南北に走る仲丁通り(武家屋敷通り)沿いに4軒並んで現存する中級武家屋敷のうちの1軒、もっとも南に建つのが上山藩武家屋敷・森本家。実際に使われている民家のため内部の見学はできませんが、外観と庭(…
山形県天童市の中心部にある舞鶴山は天童市のシンボル的な存在。舞鶴山は、全山が中世山城の城跡(天童城跡)で、山形県内随一の規模を誇る山城。その舞鶴山の頂上にある公園が天童公園で、山頂の展望広場からは、月山や朝日連峰、最上川…
山形県天童市、天童市内を流れる倉津川にかかる橋には、王将橋、金将橋、銀将橋、桂馬橋、飛車橋、龍王橋、歩橋と将棋の駒の名前が付けられ、将棋橋と呼ばれています。天童市役所側と中央公園を結んで、山形県道23号(天童大江線)の道…
山形県天童市、JR天童駅から東の国道13号に向かって真っ直ぐにのびる山形県道280号(天童停車場若松線)を中心に、天童の駅前の歩道の路面には、将棋盤とともに詰将棋の問題が描かれています。JR天童駅の天童市将棋資料館前の歩…
山形県天童市、天童市内を流れる倉津川に王将橋、金将橋、桂馬橋などがかかる将棋の町、天童。JR天童駅周辺にも将棋駒の製造メーカーが数多く、そのビジターセンターともいえる施設が天童駅の1階にある天童市将棋資料館です。天童将棋…
山形県山形市山寺、山形市制施行100周年と、奥の細道300周年を記念して、有名な「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」を詠んだ山寺(立石寺)門前に建てられた山形市営の博物館が山寺芭蕉記念館。景観に配慮して設計された和風平屋建…
山形県天童市、江戸末期の浮世絵師、歌川広重(うたがわひろしげ)の作品を収蔵展示する美術館が広重美術館。広重生誕200年を記念 して平成9年4月に開館。羽州天童藩(織田家)と歌川広重とは深い関係があり、財政難にあえぐ天童藩…
山形県天童市、出羽桜酒造の3代目社長、仲野清次郎が蒐集した新羅(しらぎ)、高麗(こうらい)、李朝(りちょう)といった韓国の古い陶磁器や工芸品を保存、展示する美術館が出羽桜美術館。明治時代末に建てられた木造瓦葺の蔵元の主屋…
山形県上山市、城下町・上山のシンボルが市中心部の小高い丘、ソメイヨシノ、枝垂桜が植栽される月岡公園の豊かな自然に囲まれて建つ上山城(かみのやまじょう)。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた上山城の城跡には、3層の模擬天守、…
山形県、秋田県の県境に位置する鳥海山(2236m)。鳥海山南麓、山形県酒田市、遊佐町(ゆざまち)などから眺めると、雪解けの山肌が種を撒く爺さんの姿に見える雪形が、種まきじいさん。例年4月下旬〜5月上旬から出現し、ちょうど…
山形県東根市にある幕末(文久年間)創業という老舗の麩(ふ)製造所が「文四郎麸」。長い木の棒に巻き付け焼き上げるという独特の製法で作られる昔ながらの車麩。地区名をとって六田麩(ろくたふ)と呼ばれる自慢の文四郎麸を、懐石料理…
山形県鶴岡市にある庄内・鶴岡地方の名物、鶴岡駄菓子「からから煎餅」の発売元が宇佐美煎餅店。「からから煎餅」は、庄内地方に江戸時代から伝わる駄菓子のひとつで、三角に折りたたんだ煎餅の中に、和紙に包まれた小さなおもちゃや民芸…
山形県山形市の蔵王温泉に平成9年にオープンした日帰り入浴施設が源七露天の湯。露天風呂のほかに、男女別の内湯、さらにはシャワーも付いた立ち寄り湯は蔵王温泉ではここだけ。蔵王温泉は、その強力なパワーゆえに、肌の弱い人は湯ただ…
山形県酒田市にある料亭「相馬屋」を再生したのが舞娘茶屋・雛蔵畫廊相馬樓(竹久夢二美術館)。北前船の交易で賑わった酒田には、お茶屋文化(料亭文化)も花開きましたが、その代表格が「相馬屋」。再生された建物では、「酒田舞娘」の…
日本屈指の豪雪地帯として知られる山形県鶴岡市の月山(がんさん)山麓。田麦俣は、庄内と内陸を結ぶ六十里越街道沿いに位置し、出羽三山詣での人々で賑わった場所。現在も茅葺きで「兜造り」(かぶとづくり)と呼ばれる3階建ての田麦俣…
山形県鶴岡市羽黒町、明治維新後の旧庄内藩士3000人による松ヶ岡開墾事業の本陣(管理事務所)となった建物が松ヶ岡本陣。松ヶ岡本陣は、元和8年(1622年)、庄内藩(荘内藩)3代藩主・酒井忠勝が、鶴岡城整備の際に建てた、「…