中瀬沼
磐梯高原(福島県北塩原村)の桧原湖と小野川湖の間にある沼が中瀬沼。沼周辺の湿地にはハンノキやシロヤナギが茂り、丘陵は、アカマツ、カンバ、カエデ類の森となっています。森の木々には、ツタウルシ、ヤマブドウ、ツルウメモドキなど…
磐梯高原(福島県北塩原村)の桧原湖と小野川湖の間にある沼が中瀬沼。沼周辺の湿地にはハンノキやシロヤナギが茂り、丘陵は、アカマツ、カンバ、カエデ類の森となっています。森の木々には、ツタウルシ、ヤマブドウ、ツルウメモドキなど…
磐梯山の大爆発によりできた湖沼群の総称が五色沼。湖底の沈殿物や棲息する生物などで湖水の色がさまざまに異なります。これら数十個の湖沼をめぐる全長3.6kmの自然探勝路も整備されていて、気軽に散策が楽しめます。入口は裏磐梯ビ…
磐梯山の北麓、磐梯高原の標高800m内外に点在する湖沼群の総称が五色沼。明治21年7月15日、磐梯山の大爆発による小磐梯の山体崩壊で、川が堰き止められて誕生した湖沼群のひとつ。五色沼湖沼群と呼ばれる沼はその数30ほど。磐…
福島県北塩原村の磐梯高原。五色沼湖沼群のひとつで、五色沼自然探勝路途中にあるみどろ沼(深泥沼)は、不思議な沼。上流側に位置する竜沼(たつぬま)のpHが6.2、下流側の赤沼はpH3.8という隔たる数字で、その中間がみどろ沼…
磐梯高原屈指の景勝地・五色沼は、沼の水に鉄、アルミニウム、マンガン、カルシウム、硫酸などがイオンの形で含有され、近接する沼でもその色合いが微妙に異なります。弁天沼、瑠璃沼、青沼など青い沼が多いのですが、鉄分が多いため沼畔…
福島県北塩原村、磐梯高原の五色沼湖沼群のなかで、もっとも神秘のベールに包まれているのが瑠璃沼(るりぬま)。珪酸アルミニウムとウカミカマゴケが影響して瑠璃色になっていると推測されています。透明度も摩周湖並みの21mという素…
旭川市西神楽1線31号〜線31号の田園地帯にある直線道路で、周辺の波状丘陵の農地改良が行なわれていないためにうねうねとうねるジェットコスター道路になっているのが就実の丘(しゅうじつのおか)。旭川周辺のカメラマンには以前か…
磐梯高原(福島県北塩原村)、五色沼自然探勝路の桧原湖(ひばらこ)側入口にある沼が柳沼。標高は830mで五色沼中で最も標高が高い沼となっています。五色沼は東へとゆるやかに傾斜する台地にあるので、入口すぐに柳沼のある桧原湖側…
クラーク博士の像で有名な「さっぽろ羊ヶ丘展望台」の一角に立つのが『恋の町札幌』歌碑。『恋の町札幌』は、昭和47年、石原裕次郎のヒット曲。平成3年6月6日に建立された歌碑には譜面と歌詞が刻まれ、碑の上には、札幌を愛した作曲…
吉田弘の作詞、船村徹の作曲で、ダ・カーポが『みんなのうた』で歌って昭和51年にヒットした『宗谷岬』。実は、ダ・カーポ(久保田広子・榊原まさとし)はリメイクで、昭和47年7月、黒木真理(くろきまこと)がオリジナル。『宗谷岬…
福島県北塩原村、磐梯高原の景勝地・五色沼。青沼は、多量のカルシウムと硫酸イオンを含む水質で、しかも沼の底にはウカミカマゴケが茂るために、その名の通り深い青色に見える沼。標高は815m、周囲はうっそうと茂る森で、青い沼をい…
磐梯高原の五色沼の湖沼群を縫うように続く五色沼自然探勝路(全長3.6km)のなかほどに位置し五色沼のなかでは2番目に大きな沼が弁天沼。標高は810m、ph4.5、透明度4mで、沼の西域の湖底にはウカミカマゴケが敷き詰めら…
磐梯高原(福島県北塩原村)、裏磐梯ビジターセンターのある五色沼入口駐車場に車を入れ、五色沼自然探勝路(全長3.6km)を東側から入ると最初にある沼が毘沙門沼(びしゃもんぬま)で、五色沼湖沼群のなかで最大の沼。標高770m…
能登東海岸屈指の景勝地で美しいリアス式海岸の九十九湾(つくもわん)。箱庭のような九十九湾の風景を海上から楽しむのが九十九湾遊覧船です。海中公園九十九湾観光船上野は、「のと海洋ふれあいセンター」下に乗船場があり、海中公園に…
湾口300m、奥行き1300mの細長い湾のなかに俗に「九十九曲がり」と呼ばれるような小さな入江がある典型的なリアス式沈降海岸の九十九湾(つくもわん)。箱庭にも喩えられ、古くは日本百景の一つにも数えられていました。海岸線の…
能登半島東海岸、石川県珠洲市随一の景勝地で周囲450m、高さ30mの見附島(見付島)。沖合200mにある断崖絶壁に囲まれた無人島です。島の上にはクロマツ、ナラ、クリ、ツバキなどが自生、ウミウの生息地ともなっています。軍艦…
石川県能登町、七尾北湾に汀線1kmの美しい海岸が恋路海岸。穏やかに湾曲した砂浜と朱色に塗られた鳥居の後方に浮かぶ弁天島は恋路海岸の象徴。夏は海水浴場としてにぎわう浜で干潮時には弁天島に渡ることもできます。北側にある見附島…
時国家は、壇ノ浦の戦いに敗れて奥能登(珠洲)に配流された平時忠(たいらのときただ)の五男・平時国を祖とする名家。近世初期に上時国家、下時国家に分かれ、現在でもほぼ300m離れたところに両家の住宅が残されています。本家 上…