原城
島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されてい…
島原半島南部、現在の南島原市にある原城跡は、周囲4kmの三方を有明海に囲まれ、難攻不落の天然の要塞だった原城(有馬城、日暮城)の城跡。本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成される城跡は原城跡公園として整備されてい…
宝暦3年(1753年)〜宝暦5年(1755年)に幕府の指揮下、薩摩藩が行なった木曽三川(きそさんせん=木曽川・長良川・揖斐川)の三川分流工事に伴い、工事後に築かれた堤に植栽されたのが1000本の松で、千本松原(油島千本…
奥只見、周囲を山に囲まれた美しいカルデラ湖の沼沢湖東岸にある妖精に関する絵画、絵本、文学資料、人形、小道具を集めた美術館が妖精美術館。金山町は「妖精の里 かねやま」をキャッチフレーズにしており、そのシンボル的な存在です。…
奥只見、福島県金山町にある火山活動で誕生したカルデラ湖(カルデラ=釜の意)。外輪山に囲まれ、美しい自然が残され、只見柳津県立自然公園に指定されています。また、湖面標高は475mで、只見川との落差を利用した揚水発電も行なわ…
京都最古の神社といわれる古社が「お酒の神様」として名高い松尾大社(まつのおたいしゃ)。京の西端、松尾山(標高223m)の磐座(いわくら)で祭祀を行なったという古代信仰がルーツ。5世紀頃、朝鮮から渡来した秦氏(はたうじ)が…
京都屈指の規模を誇る禅寺、臨済宗大徳寺派の大本山が大徳寺。正和4年(1315年)に大燈国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃しますが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が堺の豪商らの協…
文禄3年2月27日(1594年4月17日)、豊臣秀吉は、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗らの諸大名をはじめ、豊臣秀頼と正室ねね(北政所)、淀殿ほか側室、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5000人の供を従えて吉野山に入…
吉野山上千本に鎮座する延長5年(927年)編纂の「延喜式神名帳」記載の古社が吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)。明治の神仏分離までは、金峰山の蔵王権現(金峯山寺)に属する修験道の行場で、水分神は地蔵菩薩の垂迹とされ地…
吉野山、中千本に鎮座する吉水神社(よしみずじんじゃ)。明治初期の神仏分離令で後醍醐天皇、楠木正成、宋信法印を祀る神社となっています。後醍醐天皇の行宮跡で、秀吉の吉野の花見の本陣にもなったと伝えられています。世界遺産「紀伊…
吉野山・中千本にある吉水神社の山門を入ったところにあるのが吉野山を代表する桜の名所、一目千本(ひとめせんぼん)。豊臣秀吉の吉野の花見の際にも、ここからの眺めに感動したと伝えられています。吉野の花見はやはり、山を敬い崇める…
明治の神仏分離までは吉水院(きっすいいん)だったという奈良県吉野山の吉水神社。書院裏手にあるのが北闕門(ほくけつもん)で、吉野山から大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)を経て大峰山(大峯山)に入山する修験者は、ここで邪気を…
文禄3年2月27日(1594年4月17日)の太閤秀吉の吉野での花見は、吉水院(現在の吉水神社)が本陣となりました。花見に際して豊臣秀吉自らが基本設計を行なったと伝えられる桃山式の庭園が、吉水神社の庭園。神仙思想による「不…
江戸時代に行なわれた木曽三川(きそさんせん)の治水工事(分流工事)のうちでもっとも難工事だったのが宝暦の治水工事。工事中に薩摩藩士51名が自害(幕府への届け出は病死)、33名が病死しています。その薩摩藩士を祀り、過酷な工…
昭和11年2月26日〜2月29日、北一輝らの影響を受けた天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指す皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが起こしたクーデター未遂事件が有名な「二・二六事件」。二・二六事件慰霊像は、昭和11年…
大阪市平野区にある融通念仏宗総本山が大念仏寺(だいねんぶつじ)。平安時代後期の大治2年(1127年)、天台宗の僧の良忍(りょうにん)が鳥羽上皇の勅願で開創した日本最古の念仏道場です。摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)…
歌人(『アララギ』の編集発行人)で医師だった斎藤茂吉(さいとうもきち)は、明治15年、山形県南村山郡金瓶村(かなかめむら=現・上山市金瓶)に生誕。故郷である上山市金瓶の生家近くに建つのが斎藤茂吉記念館です。平30年に開館…
駿河国駿東郡深良村(現・静岡県裾野市深良)の名主・大庭源之丞(おおばげんのじょう)は、4年の歳月をかけ寛文10年(1670年)、箱根外輪山の湖尻峠を越えて芦ノ湖の水を駿河(静岡県)側に流すため、1342mにわたるトンネル…
近江八幡市安土町にある滋賀県最大の前方後円墳が瓢箪山古墳(ひょうたんやまこふん)。墳丘長162m、4世紀中頃の築造と推定され、滋賀県最大で最古の古墳。琵琶湖の東岸を治めた狭狭城山君(ささきやまぎみ/沙沙貴山君)の墳墓とも…