寒川神社
神奈川県高座郡寒川町にある相模国(さがみのくに)一之宮が寒川神社。相模川河口から7kmほど内陸に鎮座していますが、現社地が往時の河口と推測できます。さらに上流にはかつて相模国分寺があり、古代の相模国の中心だった場所です。…
神奈川県高座郡寒川町にある相模国(さがみのくに)一之宮が寒川神社。相模川河口から7kmほど内陸に鎮座していますが、現社地が往時の河口と推測できます。さらに上流にはかつて相模国分寺があり、古代の相模国の中心だった場所です。…
太平洋と北の険しい四国山地に囲まれた南国土佐では、その独特の風土から多くの文学者を育んできました。その土佐の文学と文学者を詳細に紹介するのが高知市にある高知県立文学館。高知の文学者を時代やテーマによって紹介する常設展、県…
気象物理、水産物理、地震研究、航空物理など各分野で大きな足跡を残し、夏目漱石の門下生・吉村冬彦として、数多くの随筆を記し、「天災は忘れた頃にやってくる」の名言で知られる寺田寅彦。寅彦が4〜19歳まで過ごした旧宅を記念館と…
東京・葛西にある地下鉄博物館に展示される「東京地下鉄道1000形1001号車」(日本初の地下鉄車両1001号車)が、平成29年9月15日付けで国の重要文化財に指定されています。日本初の地下鉄として昭和2年12月30日から…
黒土(くろぼく)と呼ばれる大山山麓の豊かな土壌で育った米、梨、大豆、リンゴ、ブドウ、ブルーベリーなどの農産物や農産加工品を販売する道の駅。平成21年オープンで、地元産にこだわった道の駅として人気もなかなか。山陰道(無料区…
九州(新門司港)と大阪(大阪南港)を結ぶ名門大洋フェリー。瀬戸内海航路のため来島海峡大橋、瀬戸大橋、明石海峡大橋をくぐりますが、注目は新門司港発19:50の2便。明石海峡大橋をくぐるのが予定通過時間では7:10。明石海峡…
東京メトロ東西線葛西駅の高架下にある地下鉄の博物館。東京地下鉄株式会社(東京メトロ)の関連公益法人である公益財団法人メトロ文化財団が運営するミュージアムで、略称「ちかはく」。昭和61年に開館し、平成15年にリニューアルオ…
種子島にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)が運営する日本のロケット開発、打ち上げの中心施設、種子島宇宙センターに併設された宇宙開発の展示館。平成9年3月26日に、「きぼう」日本実験棟(JEM)実物大模型、宇宙情報センタ…
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の運営する種子島宇宙センターは、総面積約970万平方メートルにもおよぶ日本最大のロケット発射場。広大な敷地の中に各種のロケット打ち上げ施設があり、日本最大の宇宙開発の拠点。種子島東南の海岸…
種子島の東海岸で最大の海蝕洞窟が千座の岩屋(ちくらのいわや)。洞窟内は千人が座れるほど広いということが名の由来です。洞窟の外は浜田海水浴場の美しいビーチが広がっており、フォトジェニックな風景は写真撮影に絶好。洞窟内に入れ…
五島列島、福江空港のすぐ東、福江島南岸に突き出た、鬼岳(315m)、火ノ岳(314.2m)、城岳(251m)、箕岳(144m)、臼岳(124.9m)からなる鬼岳火山群(福江火山群)の主峰。この鬼岳火山群は、アスピーテと呼…
明治12年、フランスのマルマン神父により仮聖堂が建てられ、明治41年に後任のペルー神父が現在の天主堂を築造したのが五島列島福江島にある堂崎天主堂。イタリアから運ばれた赤煉瓦を使った天主堂は、五島最古の洋風建造物として、昭…
対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸にそびえる烏帽子岳(標高176.3m)の山頂にあるのが烏帽子岳展望所。典型的なリアス式海岸で志摩にも似た多島美を誇る浅茅湾を一望にする展望所となっています。車で展望所まで上るこ…
五島列島・福江島の西瑞、波静かな玉之浦の入江奥に建つ井持浦教会(いもちうらきょうかい)。明治30年、フランス人宣教師、アルベルド・ペルー神父によって建てられた当初の教会はレンガ建築で、五島最初のロマネスク様式が採用された…
明治のお雇い外国人・ブラントンの設計で明治12年に点灯した大瀬埼灯台(現在の灯台は昭和46年の改築)は、「日本の灯台50選」、映画『悪人』のロケ地。美しい夕景は「日本の夕陽100選」にもなっています。640年頃の唐書『挺…
韓国まで50㎞という上対馬町は、日本海を隔てて朝鮮半島を望む国境の町。その名の通り、晴れていれば遠く韓国を眺める展望地が、鰐浦地区の高台にある韓国展望所。韓国の古代建築様式を取り入れた展望台が建っています。標高は71.0…
九州の最西端に位置する五島列島・福江島の大瀬崎。東シナ海の荒波に削られた高さ150m、約20kmにも及ぶ海触崖で、とりわけ断崖突端に建つ白亜の大瀬埼灯台と、東シナ海に沈む夕日は見事。半島先端の大瀬山(249.3m)の山頂…
長崎県対馬市にふたつある運河のうちのひとつ。ひとつは日露戦争の直前に帝国海軍が掘削した万関瀬戸、そしてもう1ヶ所が、江戸時代初めの1672(寛文12)年に開削された大船越瀬戸(おおふなこしせと)です。対馬の西岸と東岸を結…