讃岐国分寺跡
741(天平13)年、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により日本各地に建立された国分寺のひとつ。「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」が正式名ですが、一般には讃岐国分寺と呼ばれています。後継寺院の…
741(天平13)年、聖武天皇が発した国分寺建立の詔により日本各地に建立された国分寺のひとつ。「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」が正式名ですが、一般には讃岐国分寺と呼ばれています。後継寺院の…
741(天平13)年、聖武天皇の勅願で行基が開いた国分寺のひとつ、讃岐国分寺の後継寺院。弘仁年間(810年〜824年)、空海再興と伝わり、四国八十八ヶ所霊場第80番札所になっています。東西220m、南北240mもの広大な…
国衙(こくが)とは古代に国司の勤務した役所のこと。現代風に言い換えれば県庁のような存在。茨城県石岡市にある石岡小学校の校庭など常陸国衙跡の発掘調査では常陸国府の中心地に置かれた役所と倉庫群の跡が発見されています。国府の下…
741(天平13)年の聖武天皇の詔によって68の国ごとに建立された国分寺(こくぶんじ)は、正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)といい、常陸国分寺は、752年(天平勝宝4)年の建立。同年5月…
古代の常陸国(現在の茨城県)は、大和朝廷の東方支配の前線基地的な役割を担っていたと推測されています。国分寺と同様に741(天平13)年の聖武天皇の詔によって68の国ごとに建立された国分尼寺のひとつが常陸国分尼寺。正式名を…
奈良・平安時代に造営された常陸国筑波郡の郡衙跡(ぐんがあと)で国の史跡となっているのが平沢官衙遺跡。官衙(かんが)とは古代の官庁のことで、郡役所の正倉跡と推測されています。これまでの調査で大きな溝が囲む構内に大型の高床式…
独特の語り口で有名なガマの油売り。江戸時代半ば、貧乏香具師・永井兵助が筑波山の男体山と女体山との間の尾根沿いにある奇岩・ガマ石の前に7日間座禅を組んであの口上を考え出したのだとか。一度聞くと忘れられない強烈な印象の口上で…
筑波山神社は筑波山をご神体として祀る山岳信仰の霊場。祭神となる筑波山の中腹にあり、登山道の起点ともなっています。双耳峰である筑波山山頂の男体山には筑波男大神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、女体山には筑波女大神の伊弉冉尊…
深田久弥の『日本百名山』にも選定される、関東平野の双耳峰、筑波山の西の峰が男体山。標高は870mと女体山より低いのですが、山頂周囲には筑波山の自然を観察する1.5kmの自然研究路が整備されています。『日本百名山』では最も…
筑波山の東峰、女体山は標高877m(筑波山の最高点)からの雄大な眺めが素晴らしい山。眺望の他の女体山の見所は、登山道を使って登る際の高天ヶ原から山頂までの間にある巨岩や奇岩の数々。それぞれに名前があり、どうすればこのよう…
関東で「西の富士、東の筑波」と称される筑波山は男体山と女体山の2峰からなる双耳峰。筑波山ケーブルカーは筑波山神社横の宮脇駅から標高870mの男体山の頂上駅までを8分で結んでいます。大正14年10月に営業開始という歴史ある…
筑波山は男体山と女体山の2峰からなる双耳峰ですが、女体山の方が標高877mと高く、山頂からの景観がいいのが特長。有料道路筑波スカイラインの終点つつじヶ丘駅から筑波山ロープウェイを利用すると約6分で女体山の頂上に到着します…
日光の華厳滝、南紀の那智滝と並ぶ日本三名瀑のひとつが袋田の滝。久慈川の支流、滝川にかかる名瀑で、落差120m、幅73mを四段に渡って流れ落ちて流れること、さらには四季の折々の美しさから年に四度訪れるべきということからから…
三岳(みつだけ)の噴火で堰き止められてできた奥日光、湯ノ湖から流れ落ちる滝。落差70m、最大幅25mの末広がりの形をした滝で、豊富な水量が一気に流れ落ちる様は圧巻。水しぶきがあまりに多く湯気のように見えたことから、この名…
湯ノ湖から湯滝を経て流れる湯川が中禅寺湖にいたる最後の見せ場ともなっているのが竜頭の滝。滝壺近くの大岩で流れが分けられて、変化に富んだ景観を見せる滝としても有名です。とくにツツジや紅葉の季節は絶好の写真撮影の場所として多…
日光と霧降高原を結ぶ霧降高原有料道路沿いにある落差75m、幅15mの滝が霧降の滝。霧降の滝観瀑台が設けられ、原生林の合間を縫うように流れ落ちる姿を眺望できます。上下2段に分かれ、水量の多い沢水が上段の滝から落下し、岩棚に…
那智の滝(那智大滝)、袋田の滝と並ぶ日本三名瀑のひとつに数えられる有名な滝で日光二社一寺の神域に位置しています。中禅寺湖から97mの高低差を一直線に水が流れ落ちる様は荘厳かつ豪快。昭和5年に営業開始という歴史ある専用エレ…
世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」。そのひとつ、「熊野三山」の中心である熊野本宮大社は、明治22年の大水害で流出するまで、熊野川・音無川・岩田川の合流点の中洲に鎮座していました。それが大斎原(おおゆのはら)で…