地蔵坂
東京都荒川区西日暮里3丁目、諏方神社(すわじんじゃ)の建つ諏訪台からJR西日暮里駅へと下る階段状の坂道が地蔵坂。明治初年の神仏分離以前に、諏方神社(すわじんじゃ)の別当(神社を管理する寺)だった浄光寺(雪見寺)に江戸六地…
東京都荒川区西日暮里3丁目、諏方神社(すわじんじゃ)の建つ諏訪台からJR西日暮里駅へと下る階段状の坂道が地蔵坂。明治初年の神仏分離以前に、諏方神社(すわじんじゃ)の別当(神社を管理する寺)だった浄光寺(雪見寺)に江戸六地…
東京都荒川区西日暮里3丁目、JR日暮里駅近く、夕やけだんだん近くの諏訪台に建つ日蓮宗の寺が、経王寺。明暦元年(1655年)創建の寺で、山号は大黒山。境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られ、かつては谷中七福神にも数…
東京都荒川区西日暮里3丁目にある真言宗豊山派の寺が、浄光寺。諏訪台の高台に建ち、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは諏方神社(すわじんじゃ)の別当(神社を管理する寺)でした。展望が開け眺めが良く雪見に適することから雪見寺と…
東京都北区田端1丁目、JR田端駅近くの高台の一画にあるのが、芥川龍之介旧居跡。建物は現存していませんが、芥川龍之介は大正3年〜昭和2年の間、13年間にわたって田端に暮らし、『羅生門』、『鼻』、『河童』、『歯車』などを世に…
広島県広島市中区大手町1丁目、原爆ドームの南東、元安橋近くに立つのが動員学徒慰霊塔。広島県動員学徒犠牲者の会が昭和42年7月15日に建立したもの。軍都として軍需産業なども多かった広島市では、労働力の不足を補うため多数の学…
広島県広島市中区、平和記念公園にある平和の鐘は、原爆被災者広島悲願結晶の会が昭和39年9月20日の建立した、世界平和を希求する鐘。平和記念公園を訪れる人が自由に撞くことができます。鐘楼は、宇宙を表現したドーム型の屋根が4…
広島県広島市中区、平和記念公園にあるのが、原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)。毎年8月6日に行なわれる『平和記念式典』(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)の会場で、平和記念公園のほぼ中央に位置しています。碑の中…
広島県廿日市市、宮島の対岸にあり、かつては海岸だった場所に厳島神社の外宮(摂社)として造営された古社が、地御前神社(じごぜんじんじゃ)。古来、厳島(宮島)は島全体が聖地とされ、人が住むことを禁じられてきたので、厳島の遙拝…
広島県廿日市市にある安芸国の二之宮が、速谷神社(はやたにじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式神名帳』には、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられ、安芸国三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)の筆頭として朝廷の尊崇をうけてい…
東京都台東区谷中7丁目、都立谷中霊園の一画、甲2号1側にあるのが、高橋お伝の墓。高橋お伝は、仮名垣魯文(かながきろぶん)の『高橋阿伝夜刃譚』のモデルで、明治の毒婦として世に知られています。明治9年9月9日、殺人容疑で逮捕…
東京都台東区谷中7丁目、谷中霊園・天王寺とJR日暮里駅南口を結ぶ細い階段の坂道が、紅葉坂(もみじざか)。別名、幸庵坂とも呼ばれた坂道で、幸庵坂の名の由来は不詳ですが、天王寺が紅葉の名所だったことから紅葉坂の名が生まれまし…
東京都台東区にあった京成電鉄本線の地下駅が、旧博物館動物園駅。昭和8年12月10日、京成電鉄本線の開通と同時に、動物園前停留所として開業。平成16年4月1日に廃止されていますが、その駅舎(入口部分)や地下ホームなどは現存…
東京都台東区、上野恩賜公園内にある銅像のひとつが、ボードワン博士像。幕末の慶応4年(1868年)、上野戦争(戊辰戦争)によって荒廃、明治新政府が病院建設地と決めていた上野の山を、近代的な公園にすべきと提言した長崎医学校教…
広島県廿日市市、標高693mの極楽寺山の山頂付近にあり、行基が天平3年(731年)に開山したと伝えられる古刹が、極楽寺。本堂は永禄5年(1560年)、毛利元就(もうりもとなり)が再建したもの。本尊は通常は非公開の十一面千…
広島県広島市中区、平和記念公園内にある原爆の悲惨さを後世に伝え、平和を希求するミュージアムが、広島平和記念資料館。核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現をめざして設立されたもので、「原爆資料館」との呼ばれています。
広島県廿日市市、宮島の厳島神社近くにある市営の水族館が、宮島水族館。世界遺産に登録されるエリアということで、景観に配慮した和風建築の水族館。みやじマリンが愛称で、瀬戸内海を中心に380種1万5000点の生物を展示し、本館…
広島県呉市、潮待ちや風待ちをする船で賑わい栄えた港町・御手洗(みたらい)で、昭和12年に芝居小屋として建築され、芝居の興行や昭和30年代までは映画館としても活躍したのが、乙女座。往時のままに芝居小屋として復元保存されたの…
東京都台東区、上野恩賜公園のほぼ中央に立つのが、小松宮彰仁親王像(こまつのみやあきひとしんのうぞう)。幕末の鳥羽・伏見の戦いでは征討大将軍に任命され、戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執ったのが小松宮彰仁親王。明治45…